中村浩士 (競輪選手)

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愛称 ヒロシ、中村総帥
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-01-15) 1978年1月15日(48歳)
中村 浩士
Hiroshi Nakamura
基本情報
愛称 ヒロシ、中村総帥
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-01-15) 1978年1月15日(48歳)
出身地 千葉県千葉市
身長 176.0cm
体重 80kg
選手情報
登録番号 013252
所属 日本競輪選手会千葉支部
ホーム 千葉JPFドーム
期別 79期
脚質 追込
アマチュア経歴
1993-1996 千葉県立京葉工業高等学校
登録地
1997- 千葉
選手情報 KEIRIN.JP
選手情報 PIST6
■最終更新日:2015年11月10日  テンプレートを表示

中村 浩士(なかむら ひろし、1978年1月15日 - )は、千葉県千葉市出身[1]競輪選手日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)79期生。日本競輪選手会千葉支部長。師匠は吉田昌弘(65期)。長男の嶺央(れお。129期)も競輪選手、さらに次男の孔翼(こうすけ)も日本競輪選手養成所第131期生として入所予定。

デビューまで

北貝塚小学校時代は水泳モトクロスバイクを経験。貝塚中学校時代はバレーボールをしていた(当時輪ゴムを一つずつ取り出すことが出来るゴム取り機を発明して表彰された)。

県立京葉工業高校に進学し、自転車競技部に入る。高校総体イタリアンチームパーシュート4位、関東大会4km速度競走2位にもなった[2]

デビュー後

1997年4月にデビュー[3]。新人だったA級時代から師匠(吉田昌弘)の師匠にあたる馬場進の助言もあり、当時最新のトレーニングに取り組んだ[4]。主流が3.57の時に3.43のギアで優勝を重ね、2001年にS級に昇級[1]

2008年8月13日のGIII開催初日特選レースで、333バンクの松戸競輪場2センター9番手から9.0の上がりタイムで、1着に届いた[5]。それまで井上茂徳が1982年から保持していた同場のバンクレコード(9.1)を、26年ぶりに更新した[6]。そして、その開催で優勝も果たした[7]

GIII記念競輪では他に、2007年の立川(北京五輪日本代表協賛競輪)と2010年の高知(開設60周年記念)も制覇している。

2010年8月8日、第26回読売新聞社杯全日本選抜競輪宇都宮)で、GI初優出[8](結果は落車・失格)。6年後の2016年G1オールスター競輪(松戸競輪場)の決勝は3着だった。

地元の選手会千葉支部においては副支部長を経て2016年より支部長に就任し[9]、千葉競輪場存続を目指す活動や同場のファンサービスにも勤しんでいる[10]。その他、福祉活動などにも携わってきた[5]

中村道場

自身のホームバンクである千葉競輪場を拠点とするトレーニンググループ、「中村道場」(TEAM NAKAMURA)(夢道場[11])を2004年に立ち上げ[12]、総帥となって後進を指導している[13]

メンバーは、2002年頃から中村と練習を共にしてきた高橋敦史[14](76期・2013年6月引退[15])、田中晴基(90期)、鈴木裕(92期)、自身の弟子である根田空史(94期)、湯浅大輔(96期)、河上陽一(99期)、ガールズ第1回生の田畑茉利名(102期)の4選手ら[1][注 1]

エピソード

2019年9月13日松阪競輪場行われた第35回共同通信社杯競輪の競走中に林雄一神奈川)が運動誘発性不整脈を発症、ゴール後に落車し心停止状態になった際[16]、大会前にAEDの講習を受けていた中村がAEDの使用並びに心臓マッサージを行った[17]。この中村の早急かつ適切な処置もあり、搬送時には意識不明だった林の容体も徐々に安定し、開催最終日時点では会話可能な状態まで回復[18]。林の心臓には除細動器が取り付けられたが、70日の入院生活後に障害も残らず退院した[19]

林は2020年3月末に引退し、現在は競輪解説者として小田原競輪場YouTubeを中心に活動している[20]

脚注

注釈

外部リンク

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