千葉競輪場
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| 千葉競輪場 Chiba Keirin | |
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| 基本情報 | |
| 所在地 |
千葉県千葉市中央区弁天四丁目1-1 |
| 座標 | 北緯35度37分18.3秒 東経140度6分56.2秒 / 北緯35.621750度 東経140.115611度座標: 北緯35度37分18.3秒 東経140度6分56.2秒 / 北緯35.621750度 東経140.115611度 |
| 電話投票 | 32# |
| 開設 | 1949年(昭和24年)8月31日 |
| 閉場 | 2017年(平成25年)12月17日 |
| 走路 | 500m |
| 施行者 | 千葉市 |
| 所有者 | 千葉市 |
| 民間委託 | 株式会社JPF |
| 重勝式投票 | チャリロト(グループB) |
| 公式サイト | 千葉けいりん |
| 実況 | |
| 担当 | 池田孝宏 |
| 記念競輪 | |
| 名称 | 滝澤正光杯 |
| 開催月 | 2021年から松戸競輪場に譲渡 |
2021年10月1日 更新 | |
千葉競輪場(ちばけいりんじょう)は、千葉県千葉市中央区にある、競輪場である。
当場は施設の老朽化により2017年12月に閉場した上で全面的に解体され[1][2][3]、従来の競輪を施行する競輪場ではなく、トラックレースとしてのケイリンなど各種自転車競技の開催を前提とした国際規格である1周250mの木製バンクを備え、新たな競技である「250競走」(愛称『PIST6』)を専門に実施するドーム競輪場「千葉JPFドーム」(命名権導入によりTIPSTAR DOME CHIBAの名称が用いられている)へと生まれ変わった。
なお、建て替え後の千葉JPFドーム(TIPSTA DOME CHIBA)も法的には『千葉競輪場』であるため[4]、当項目は解体前の施設としての千葉競輪場について述べる。
千葉競輪場は1949年8月31日に開設された。過去に行われたビッグレースは、1977年に第20回オールスター競輪が、1972年・1975年・1976年・1981年・1984年・1987年・1996年・2000年にそれぞれ日本選手権競輪が開催された。
開設記念( GIII)は、1980年代後半に「怪物」と呼ばれ特別競輪制覇を量産した滝澤正光を称え、2008年より『滝澤正光杯』として10月(2020年のみ12月)に開催されていた。なお、2007年までは『秋桜杯』が毎年8月下旬から9月の間に開催されていた。千葉競輪場の改修に伴い、2018年から2020年までは松戸競輪場で開催された[5][6]。なお、2021年以降は松戸市営に移行した上で引き続き松戸競輪場で開催されている。
記念競輪以外では、現役時代「輪聖」と謳われた白鳥伸雄を称え『白鳥伸雄杯』が、競輪のGIレースの常連として活躍していた東出剛(2004年2月22日に胃癌のため39歳で死去)を称え『東出剛メモリアルカップ・グランドチャンピオン500』が開催されていた(2017年12月の開催もこの大会だった[7])。
トータリーゼータシステムは富士通フロンテックを採用している。マスコットはライオンの姿をした「ライモン君」[8]。実況は東京電設工業で担当は藤崎俊明または鈴木丈之であったが、2014年10月の記念競輪は中川建治、それ以降は池田孝宏が実況を担当した。
選手宿舎は千葉サイクル会館。競輪開催期間外であれは一般の団体の宿泊も可能だが、原則として30人以上の団体での利用に限られる[9]。なお、同宿舎は1996年の竣工から期間が経過し老朽化が進んでいることに加え、浴室が1室しかなくガールズケイリンの開催への対応が難しいことなどもあり、2020年から5年計画で大規模改修を行う予定[10](現在のドーム競輪場が開場後も引き続き同宿舎が利用されている)。
チャリロト
2009年8月18日の開催から重勝式投票にあたるチャリロトを発売しているが、グループ開催への移行により、それまでのキャリーオーバーによる発売は2012年11月7日を最終日として一旦終了することになり、最終日は特例として各賭式でキャリーオーバーがあった場合は一つ外した目でも的中の扱いとしていたが、全方式とも的中者がいなかったため、チャリロトの2058万4650円、チャリロトセレクトの4275円、チャリロト5の3600円が千葉市の収入となった。
11月26日からの開催より、他場とキャリーオーバーを共有する『グループC』としての発売となり、キャリーオーバーの対象外であるチャリロト3は千葉単独で発売される。なお、2013年4月8日からの開催より所属グループが『グループB』へ変更となり、伊東温泉競輪場・静岡競輪場・いわき平競輪場と共に所属している。
バンク特徴
1周500メートルの直線の長いバンクだが、カントが緩い[11][12]ためか早めの先行が打たれる400メートルバンクに近いレースが繰り広げられた。捲りを決めるならバックストレッチで一気に仕掛けるしかなく、コーナーで仕掛けてもスピードは上がらず外にふくれる場合が多かったため、先行選手へのハンデは500メートルバンクの割に少ないが、仕掛け所を逃さなければどの戦法の選手でも勝利のチャンスがあった。
決まり手は差し - 捲り残りや逃げ残りなどが多いが、捲り - 逃げ残りという残り目も見受けられた。そのためか本線に人気が集中する極端なオッズは少ないと言え、筋違いなのに低配当ということもあった。
なお、当場は財務省千葉財務事務所が土地を所有(競輪場は敷地4.3ヘクタールのうち約3ヘクタールが国有地[13]、残りは市有地)[14]する千葉公園の中に立地しており、バンク内にはテニスコートが常設されていた。かつてはミニサッカーグラウンドもあり、競輪非開催時に利用可能であった。サッカー使用時はバンク内にある審判用カメラを東京電設工業の社員が移動していたが、解体前の晩年は固定式となっていた。千葉市は国有地部分を取得すると2017年9月13日に正式に表明した[15]。
2015年6月以降改修のため開催がなかったが、青く塗り替えられたバンクが、同8月のFIIから使用された[16]。
- 競輪場入口
- バンク
- スタンド
- 電光掲示板
- 固定前のセンターポール
場外車券売場
他場との関係
同じ千葉県内にある松戸競輪場とは入場者の取り合いをおこさない様に本場開催の日程を調整しており、台風や降雪等で順延しない限り一緒に開催される事はなかった。
これを利用し、車券販売窓口の係員や審判団(両競輪場とも、JKA競輪競技実施事業本部の南関東地区本部に所属している)の共有を行っていた。
歴代記念競輪優勝者
- ※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。
エピソード
- 1973年4月9日の第7競走において、当時全ての公営競技において過去最高となる236万3180円[22]という配当が出た(的中票数は11票[23])。これは「普通競走」という当時行われていたレース形態(その競走に参加する選手の一人が先頭を走る「トップ引き」を申し出たために、先頭誘導員がいなくなる競走。その申し出た選手は自動的に6番車となる)で、通常は車券に絡むことがあまりない6番車が、7名の大量落車を避けて2着に絡んだことにより、1着の7番と合わせて枠番連勝単式の組み合わせが5-5(今の車番2連勝複式6-7、車番2連勝単式7-6に相当する)となったためである。この記録は2002年5月30日に大井競馬場の第6競走で400万940円(三連単)という配当が出るまで29年余りに亘って大金字塔として君臨し続けた[24]。競輪においては、2003年9月7日に富山競輪場で449万5120円(三連単)が出た際に記録更新された[25]。なお、この金額は現在でも枠番連勝単式としては、現在でも最高配当である。
- 1979年9月10日、当時、黒板にレースの配当金や当たり票数を書き出して掲示していたが、投票数の転記ミスをきっかけに約1000人が騒ぎ出して暴動に発展。1人が放火未遂の容疑で千葉中央警察署署員に逮捕されている[26]。
- 1990年代前半から締切の音楽が5分前がベルリンの「Take my breath away」、3分前がフランク・ミルズの「愛のオルゴール」が使われた(千葉県内にある松戸競輪場と同じで、松戸は3分前がリチャード・クレイダーマンのもの)。
