中林湘雲
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生涯
文政元年(1818年)相模国三浦郡浦郷村字日向(神奈川県横須賀市浦郷町)光龍寺住職三浦家の長男として生まれ、幼年期江戸で谷文晁に学んだ[1]。天保9年(1838年)前までに京都に出て中林竹洞に師事し、京都町奉行浅野長祚に仕えた[1]。嘉永6年(1853年)竹洞が死去すると三女中林清淑を娶り、中林姓を私称した[1]。
安政5年(1858年)浅野長祚が小普請奉行に左遷されると江戸に移り[2]、夫婦で全国を漫遊し、豊後国日田で同宗派住職平野五岳に師事し、名を積、号を沖岳[3]とした[1]。
元治元年(1864年)父の死により帰郷し、誓約通り正龍寺を継いだが、慶応3年(1867年)中林竹渓が死去すると正式に中林家を継ぎ、明治元年(1868年)寺を15歳の長男貞玄に継がせた[1]。戊辰戦争では日田咸宜園出身大村益次郎の下で軍務官に勤め[1]、維新後兵部省門番頭を務めた[4]。
1882年(明治15年)本所区亀沢町一丁目の中林家の家督を長女に、1887年(明治20年)正龍寺を近隣同宗派の住職の弟に譲り、1890年(明治23年)死去した[1]。
