中津川 (大分県)
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歴史
1600年(慶長5年)に細川忠興が中津城に入封すると、金谷堤を築造して当時の山国川の本流であった大家川(おおえがわ)を締め切って中津城の外堀として利用し、当時派川であった中津川を本流とした。その後、1655年(明暦元年)及び1669年(寛文9年)の2度の洪水によって新たな派川が生じ、本流との間に中州(小祝島)ができた[3]。江戸時代、山国川の河口域は高瀬川と呼ばれており、このうち、中州(小祝島)の中津城側の川(現在の中津川)は表川や中津川と、京泊側の川(現在の山国川)は裏川や小犬丸川等と呼ばれた[4]。
江戸時代には、新しく生じた川(現在の山国川)の水量は少なく、現在の中津川が依然として本流であったが、1889年(明治22年)の洪水で流量が逆転し、現在のように山国川が本流となった[5]。
「中津」という地名が確認できるのは江戸時代以降であり、それ以前の史料では「中津川」、「中津河」という川名しか見られないことから、「中津」という地名の由来を中津川に求める説がある[5]。
流域の自治体
- 大分県
- 中津市

