中道新党構想
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1970年代の中道新党構想
1990年代の中道新党構想
2026年の中道新党構想
→「高市政権 § 年頭の通常国会解散・2月総選挙へ」、「第51回衆議院議員総選挙」、「立憲民主党_(日本_2020) § 第51回衆議院議員総選挙・公明党との新党「中道改革連合」結成へ」、および「公明党 § 第51回衆議院議員総選挙・新党「中道改革連合」結成へ」も参照
2026年1月、高市早苗首相により衆議院解散が行われ、同年2月にも第51回衆議院議員総選挙が執行される方向となった事から、立憲民主党と公明党は中道勢力の結集[1]を目的とした選挙協力体制などの共闘を目指しており[2][1]、その過程において両党の衆議院議員がそれぞれ離党して新党を結成し選挙戦に臨む方針となり、同月16日に中道改革連合を結成することを正式に発表した[3]。なお、参議院議員や地方議員が両党に一定数残留しているため、立憲民主党・公明党はこの時点では解党せずそれぞれ存続する形となり、将来的な合流を目指すとしている。
しかし、新党として臨んだ総選挙で中道改革連合は選挙前167議席から大幅に減らして49議席にとどまる歴史的大敗を喫した。結党前から立憲・公明両党の安全保障やエネルギー政策、憲法改正など政策の立ち位置に相違点があり、その擦り合わせを行わない状態で拙速に新党を結成して選挙戦に臨んだことに対して、主に立憲出身者を中心に執行部に対する批判が強く、落選した元議員が中道から離党する動きが相次ぐなど、参議院議員・地方議員も含めた両党の合流については見通しが付いていない[4][5]。