中道新党構想

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中道新党構想(ちゅうどうしんとうこうそう)は、日本の政界再編構想のひとつ。本項目では、以下のものを取り上げる。

  1. 1970年代半ばに、自由民主党三木武夫と、民社党佐々木良作の間で検討されていた政界再編構想。
  2. 1993年の55年体制崩壊後、新進党民主党に至る構想。
  3. 2026年、自由民主党の高市早苗首相による衆議院解散第51回衆議院議員総選挙)報道を受け、前年10月に自公連立政権を離脱した公明党斉藤鉄夫代表)と立憲民主党野田佳彦代表)との中道改革連合構想。

1970年代の中道新党構想

護憲派の三木武夫は、自由民主党のハト派の筆頭と言われ、「右の左」と呼ばれた。

佐々木良作は、労働者権利擁護の立場に立ちながら、共産主義には右翼以上に敵対し、「左の右」と呼ばれた。

現行憲法擁護・政府の積極的な市場介入親米を維持しながらも、アメリカの世界戦略には与しないことで合意すれば、構想は容易にまとまると思われたが、当時は冷戦下であり、右と左には越えがたい一線があって、結局日の目を見なかった。

また、佐々木と同時期に民社党を動かしていた春日一幸は、自民党保守本流の田中角栄大平正芳、傍流側でも河野謙三らとの連携を模索しており、小政党の民社党内部も一丸となって動いていたわけではない。

1970年代末には、盛んに新自由クラブとの中道新党を目指したが、自民党と同じ保守政党の新自由クラブは消極的だった。

1990年代の中道新党構想

三木の中道新党構想は、三木の子飼いであった海部俊樹が、1994年村山内閣の誕生を理由として自民党を離党し、新生党代表幹事の小沢一郎らと新進党を結成することで実現した。

1997年の新進党解党後は、小沢系議員と公明党を除く中道諸勢力が日本社会党右派及び一部の左派を取り込み民主党に結集し、のちに小沢も加わった。

2026年の中道新党構想

2026年1月、高市早苗首相により衆議院解散が行われ、同年2月にも第51回衆議院議員総選挙が執行される方向となった事から、立憲民主党公明党中道勢力の結集[1]を目的とした選挙協力体制などの共闘を目指しており[2][1]、その過程において両党の衆議院議員がそれぞれ離党して新党を結成し選挙戦に臨む方針となり、同月16日に中道改革連合を結成することを正式に発表した[3]。なお、参議院議員や地方議員が両党に一定数残留しているため、立憲民主党・公明党はこの時点では解党せずそれぞれ存続する形となり、将来的な合流を目指すとしている。

しかし、新党として臨んだ総選挙で中道改革連合は選挙前167議席から大幅に減らして49議席にとどまる歴史的大敗を喫した。結党前から立憲・公明両党の安全保障やエネルギー政策、憲法改正など政策の立ち位置に相違点があり、その擦り合わせを行わない状態で拙速に新党を結成して選挙戦に臨んだことに対して、主に立憲出身者を中心に執行部に対する批判が強く、落選した元議員が中道から離党する動きが相次ぐなど、参議院議員・地方議員も含めた両党の合流については見通しが付いていない[4][5]

脚注

関連項目

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