中道改革連合
日本の政党
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中道改革連合(ちゅうどうかいかくれんごう、英: Centrist Reform Alliance[19])は、中道を掲げる日本の政党。
| 中道改革連合 Centrist Reform Alliance | |
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総務省届出における、中道改革連合の所在地(現立憲民主党本部、三宅坂ビル) | |
| 代表 | 小川淳也 |
| 代表代行 | 山本香苗 |
| 幹事長 | 階猛 |
| 成立年月日 | 2026年1月16日 |
| 前身政党 | |
| 本部所在地 |
〒100-0014 東京都千代田区永田町1丁目11番1号三宅坂ビル(立憲民主党本部) |
| 衆議院議席数 |
49 / 465 (11%) |
| 参議院議席数 |
0 / 248 (0%) |
| 政治的思想 | |
| 政治的立場 | 中道[A] - 中道左派[注釈 3][注釈 4] |
| 党旗 |
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| 公式カラー | 青[18] |
| 4010005041290 | |
| 公式サイト | 中道改革連合(略称:中道)公式|生活者ファースト、くらしを真ん中へ |
| 中道改革連合 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| YouTube | ||||||||
| チャンネル | ||||||||
| 活動期間 | 2026年 - | |||||||
| ジャンル | 政党 | |||||||
| 登録者数 | 12.6万人 | |||||||
| 総再生回数 | 69百万回 | |||||||
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| チャンネル登録者数・総再生回数は 2026年9月1日時点。 | ||||||||
2026年(令和8年)1月16日に設立届け出がなされた[20]。
届出上の公式な略称は中道[21]で、マスメディアでも中道[22][23]。党外など一部からは中革連[24][25]とも揶揄される。英語名での略称はCRA[26]。立憲民主党と公明党の衆議院議員により結党された[27]。各党の参議院議員と地方議員は後に合流する構想であった[28]が、後述の衆議院選挙での大敗を受け、当面は合流しない予定としていた[29][30]。しかし、同年8月31日の3党党首会談にて、3党合流を見送ることとなった[31]。
同年2月実施の可能性が高まった第51回衆議院議員総選挙を前に、自由民主党(自民党)の高市政権および協力関係にある日本維新の会への対抗軸として、立憲・公明両党が中道思想を掲げて設立した。結成にあたり、「中道勢力の結集」を掲げた公明党が提唱した「中道改革の旗印となる5つの旗(政策5本柱)」を基本理念に据え、この指針に賛同する議員・候補者が結集した[12][32]。
党史
前史
2025年10月、公明党は野党時代を含め26年間続いた自民党との自公連立政権を解消した。翌11月には「中道改革」を掲げ、現実的な外交・防衛政策と憲法改正、政治改革と選挙制度改革をはじめとする5本柱を打ち出した[33]。立憲民主党の野田佳彦代表と公明党の斉藤鉄夫代表はこの時点で中道改革勢力の結集を呼びかけ、連携に意欲を示す野田が水面下で公明党側と接触してきた。
その後、2026年1月9日以降、内閣総理大臣の高市早苗による解散総選挙を行う動きが活発化し、将来的な連携を模索していた立憲民主党・公明党は総選挙での協力体制を築くべく急接近。選挙での連携の過程において、両党間の小選挙区での選挙協力に加え、比例区については両党から政治団体を立ち上げたうえで統一比例名簿での擁立も検討され、両党は概ね合意していた。しかしこの場合の問題点として、公職選挙法上において比例区の統一名簿となる団体に関しては、立憲・公明とはいずれも別の政治団体と見做されるため、(立憲民主党・公明党から立候補した)小選挙区立候補者は比例区との重複立候補が不可能な点がネックとなった。このことから、結果的に新党結成へ舵を切る形となった[34][35]。この新党結成への動きはごく限られた関係者のみで進められ、幹部でも直前まで動きを知らされていない議員もいたとされており、両党の合流を主導した幹部としては野田、斉藤の両代表のほか、当時の立憲民主党幹事長であった安住淳、選挙対策委員長で公明党の支持母体である創価学会とのパイプ役にもなっていた馬淵澄夫、公明党幹事長の西田実仁らが挙げられている[36][37][38]。
これを受けて同月15日に野田と斉藤は国会内で会談し、新党結党合意をした。その過程で「立憲民主党と公明党は解党せず、中道改革の理念に賛同した衆議院議員が離党して新党に参加する形式をとる」「参議院議員および地方議員は引き続き従来の党に所属する」ことなどを確認した[32]。衆院選の比例代表では新党の下で統一名簿を作成し、小選挙区では旧公明党側が候補擁立を見送り、旧立憲民主党側の候補を支援する形での選挙協力が行われる想定としていた[39]。新党は当面、衆議院議員を中心に構成するが、立憲・公明両党に残る参議院議員と自治体議員も今後段階的に合流する想定であった[12][40]。
野田は記者団に対し、「自民党の右傾化を食い止めるため、中道を分厚くする。政権交代に向けた現実的な選択肢を示す」と決意を表明。斉藤も、「中道主義という共通の旗印のもとに結集し、包摂主義、共生社会を目指す。共鳴する人を集めて政治を変えていく」と述べた[12]。野田と斉藤はかつて新進党で行動を共にしたことがあり、「集票連合」であることや参議院では前身政党が残ることなどで新進党との類似性が一部報道で指摘されたが[41]、斉藤は「自民と全面対決する党を作るつもりはない。第二新進党を目指すものではない」と述べている他、結成した新党が中道政策を進めるために「ある意味では自民党とも連携しながら政策を進めていくということもあり得る」として、対決一辺倒ではない柔軟な姿勢を示している[42]。また、過去に希望の党が設立された際に「排除の論理」をかざして入党者を選別した事で分断が発生し(こちらを参照)、第48回衆議院議員総選挙では排除された(旧)立憲民主党の後塵を拝す形で議席を伸ばすことが出来ず、事実上短命に終わり失敗した経緯を懸念し、立憲民主党の議員総会では「希望の党のような排除の論理は取らず、従来の政策を訴え続けられるよう十分配慮する」と説明した[43]。公明の斉藤代表は国民民主党や自由民主党の中にも中道理念を共有する者はいるとし[33]、合流に意欲を示した[44]が、国民民主党の玉木雄一郎代表は15日に新党に参加しない意向を示した[45]。
翌16日、新党の名称を「中道改革連合」とする意向が発表され[46]、東京都選挙管理委員会を通じて総務省に「中道改革連合」の結党を届け出た[47]。届出上の党代表は山井和則(立憲・幹事長代理)とし、立憲・公明両党の代表、野田佳彦と斉藤鉄夫が新党の共同代表に就任することが発表された[48]。
結党後

政党要件を充足させるため、山井和則ら両党の衆議院議員5人が先行して離党した上で結成時から参加した[49]。立憲の衆議院議員は20日までに離党し、新党への参加を判断するほか、公明の衆議院議員は引退議員(竹内譲[50])を除き全員が入党すると報じられた[48]。1月19日には、綱領と基本政策を発表した[2]。
公明党と連立・選挙協力を長年していた自民党の鈴木俊一幹事長は記者会見で、地方や個人レベルの公明との協力の余地に期待しつつ、公明が政権を離脱して新党を結成したことにより「党レベルではもちろん選挙協力は出来ない。選挙の協力のお願いということもできない」と述べた[51]。立憲民主党と参議院で会派を組む社会民主党の福島瑞穂党首は、中道改革連合の綱領・基本政策について「『生活者ファースト』など、社民党と共通部分もある」としつつ、安全保障関連法、憲法、原発の項目に、強い懸念を示した[52]。沖縄立憲民主党も参加しているオール沖縄は、綱領発表会見時の安住立憲幹事長の辺野古新基地建設問題をめぐる発言に猛反発し、その後、安住は発言を修正して[53]「今後両党(立憲・公明)の基本的な考え方、共生と包摂ということをベースにした上で、沖縄の皆さんの心情に寄り添った対応をしていきたい」と述べたうえで、立憲民主党の辺野古新基地建設の中止を求めてきた立場に変更はないとした[54]。以前立憲民主党と民共共闘していた共産党は、書記局長の小池晃が第51回衆議院議員総選挙に向けた候補者擁立について、「立候補は我々自身の判断で行っていく」と述べ、競合を前提に積極的に擁立を進める考えを示している[55]。
1月20日、立憲民主党衆議院議員は、事前に次期総選挙に立候補しない意思を表していた2人(大河原雅子[56]・寺田学[57])のほか、無所属で次期総選挙立候補を表明した青山大人[58]、合流に批判的な原口一博(減税日本・ゆうこく連合で立候補)[59]の計4人を除くほぼ全員の144人が中道改革連合へ入党することとなった[60][61]。円より子議員(元国民民主党所属)、新垣邦男議員(元社会民主党所属)など、立憲・公明両党出身者以外の中道改革連合参加表明も続いた[62][63]。21日、斉藤は公明党を離党(後任は翌日に竹谷とし子が就任[64])した[65]。
1月22日に結党大会を開き野田と斉藤が共同代表に正式に就任[66]した。同日時点の所属国会議員は立憲から144人、公明から引退する3人を除く[67]21人の計165人となった[68]。同日には衆議院会派「立憲民主党・無所属」と「公明党」が合流し、新会派「中道改革連合・無所属」(172人)が結成された。新会派には新党への不参加を表明した原口、青山を除く全議員(立憲・公明両党に残留した引退予定議員も含む)が参加したほか、円、新垣、さらにれいわ新選組を離党した多ケ谷亮も加わった[69]。更に円より子が入党しているため、166人となる[70]。23日、党は追加公認10人を発表した[71][72]。円は比例単独での公認となったが、同日、円は「東京17区での公認を前提とした入党の約束だった」とし、比例単独公認の辞退を表明した[73][74]。24日、党は円の公認取り消しを発表した[75]。
- 中道改革連合入党者
| 立憲民主党から入党(衆議院議員144名) | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 青柳陽一郎 | 阿久津幸彦 | 東克哉 | 安住淳 | 阿部知子 | 阿部祐美子 | 荒井優 | 有田芳生 | 安藤淳子 | 五十嵐衣里 | 池田真紀 | 井坂信彦 |
| 石川香織 | 泉健太 | 市來伴子 | 伊藤俊輔 | 稲富修二 | 今井雅人 | 梅谷守 | 江田憲司 | 枝野幸男 | 大串博志 | 逢坂誠二 | 大島敦 |
| 大嶽理恵 | 大塚小百合 | 大築紅葉 | 大西健介 | 岡島一正 | 岡田克也 | 岡田悟 | 岡田華子 | 岡本章子 | 岡本充功 | 小川淳也 | 奥野総一郎 |
| 小熊慎司 | 小沢一郎 | 落合貴之 | 尾辻かな子 | 海江田万里 | 金子恵美 | 鎌田さゆり | 神谷裕 | 亀井亜紀子 | 川内博史 | 川原田英世 | 城井崇 |
| 菊田真紀子 | 黒岩宇洋 | 玄葉光一郎 | 源馬謙太郎 | 神津健 | 後藤祐一 | 小宮山泰子 | 小山千帆 | 小山展弘 | 近藤和也 | 近藤昭一 | 齋藤裕喜 |
| 酒井菜摘 | 坂本祐之輔 | 桜井周 | 佐々木奈保美 | 佐藤公治 | 重徳和彦 | 階猛 | 篠田奈保子 | 篠原豪 | 篠原孝 | 柴田勝之 | 下条みつ |
| 下野幸助 | 白石洋一 | 末松義規 | 杉村慎治 | 鈴木岳幸 | 鈴木庸介 | 宗野創 | 高橋永 | 高松智之 | 竹内千春 | 武正公一 | 田嶋要 |
| 辻英之 | 津村啓介 | 手塚仁雄 | 中島克仁 | 中谷一馬 | 長妻昭 | 長友克洋 | 西川厚志 | 西川将人 | 西村智奈美 | 野田佳彦 | 野間健 |
| 橋本慧悟 | 長谷川嘉一 | 波多野翼 | 原田和広 | 伴野豊 | 平岡秀夫 | 福田昭夫 | 福田淳太 | 福森和歌子 | 藤岡隆雄 | 藤原規眞 | 太栄志 |
| 本庄知史 | 牧義夫 | 升田世喜男 | 松尾明弘 | 松木謙公 | 松下玲子 | 松田功 | 眞野哲 | 馬淵澄夫 | 丸尾圭祐 | 水沼秀幸 | 三角創太 |
| 道下大樹 | 緑川貴士 | 宮川伸 | 森田俊和 | 森山浩行 | 矢崎堅太郎 | 谷田川元 | 柳沢剛 | 山登志浩 | 山岡達丸 | 山岸一生 | 山崎誠 |
| 山田勝彦 | 山井和則 | 山花郁夫 | 屋良朝博 | 柚木道義 | 吉川元 | 吉田晴美 | 米山隆一 | 笠浩史 | 早稲田夕季 | 渡辺周 | 渡辺創 |
| 公明党から入党(衆議院議員21名) | |||||||||||
| 赤羽一嘉 | 浮島智子 | 大森江里子 | 岡本三成 | 河西宏一 | 金城泰邦 | 輿水恵一 | 斉藤鉄夫 | 佐藤英道 | 庄子賢一 | 角田秀穂 | 中川宏昌 |
| 中川康洋 | 中野洋昌 | 西園勝秀 | 沼崎満子 | 濱地雅一 | 平林晃 | 福重隆浩 | 山崎正恭 | 吉田宣弘 | |||
| 国民民主党から入党(衆議院議員1名) | |||||||||||
| 円より子[注釈 5] | |||||||||||
| 無所属から入党(衆議院議員2名) | |||||||||||
| 新垣邦男[注釈 6] | 多ケ谷亮[注釈 7] | ||||||||||
第51回衆議院議員総選挙

小選挙区202人と比例代表34人の計236人が立候補[76]。
斉藤をはじめとする公明党出身の候補者は小選挙区からは撤退し、比例単独の立候補となった[77]。公明党出身者の前職では、前述の通り中道に入党せず公明党に留まっていた竹内譲、山口良治、鰐淵洋子の3人が立候補せず、合流前は大阪3区で擁立予定であった浮島智子[78]が比例北海道ブロックへ転出し、前回2024年10月の総選挙で落選した元公明党代表の石井啓一、元職の伊佐進一、國重徹や元参議院議員の山本香苗、2025年の参院選比例区で落選していた河野義博などを前職以外に新たに擁立した。公明党出身者はすべて比例単独で各ブロックの上位順位で処遇された。
一方で立憲民主党出身者は基本的に小選挙区とともに比例区にも重複立候補することとなったが、順位は公明党出身者よりも下位の順位で同一順位となった。その中で野田佳彦と岡田克也は比例重複を行わなかった。例外的に奈良1区で立候補する共同選挙対策委員長の馬淵澄夫は、近畿ブロックで公明党出身者5名に続く6位登載で処遇され、他の重複立候補者よりも優遇措置となった[79]。このため、公明党出身者が優遇される一方で、比例重複立候補者の復活当選を妨げる懸念が当初から伝えられていた[80]。なお、立憲民主党在籍時は東京24区から擁立予定であった前職の有田芳生は、かねてから宗教ジャーナリストとして公明党の批判を続けていたことから、創価学会の関連施設が多い八王子市を選挙区とする東京24区から有田を前回同様擁立することに学会側が難色を示したと伝えられ[81]、有田は比例東北ブロック単独候補に転出し、東京24区は東京都議会議員の細貝悠に差し替えとなっている[注釈 8]。
しかし、結成まもなく選挙戦に突入した事で「中道」の浸透に課題が挙げられたほか、福岡県では公明党の市議が自民党の武田良太を応援したり、近畿地方では比例区で中道を支援すれば小選挙区で公明票を流すと自民党候補に持ち掛けたりするなど公明党と自民党の繋がりが切れていないとの報道もあり、メディア各社でも中道の劣勢を伝える情勢報道が相次いだ[82][83]。
記録的大敗と野田・斉藤共同代表の引責辞任
2月8日、投開票の結果、自民党の歴史的大勝の煽りを受ける形で、選挙前勢力の167議席から大幅に減らし、3分の1を切る49議席で大敗を喫した[84]。
小選挙区で軒並み議席を失ったほか、比例区では名簿の上位順位を独占していた公明党出身の比例単独候補の全員が当選した一方で、当初から懸念されていた通り比例区での獲得議席数が重複立候補者にまで回らずに比例復活当選を大きく妨げる形となり、特に近畿以西のブロックでは比例復活当選者が皆無となった。ベテラン議員では現役最多の当選20回を目指した小沢一郎、中選挙区制も含めて12回連続で当選を続けていた岡田克也、元立憲民主党代表の枝野幸男、比例復活を含め連続当選が続いていた前副議長の玄葉光一郎、元副議長の海江田万里や、党要職でも届出上の代表である山井和則、共同幹事長の安住淳、副代表の近藤昭一、共同選対委員長の馬淵澄夫、共同政調会長の本庄知史、選対事務局長の逢坂誠二などベテラン・若手を問わず前職議員は軒並み議席を失い、直近の選挙で小選挙区で当選を続けていた元厚生労働大臣の長妻昭、共同国対委員長の笠浩史、元立憲民主党政調会長の重徳和彦なども辛うじて比例復活で議席を維持するなど苦戦した。さらに比例区議席配分のうち7議席は自民党(南関東・東京・北陸信越の各ブロック)とチームみらい(近畿ブロック)の比例区登載者不足により生じた議席配分であった[注釈 9][85]。小選挙区の当選者は共同代表の野田、元立憲民主党代表の泉健太、後述の代表選に出馬する小川淳也、階猛のほか、神谷裕、渡辺創、野間健のわずか7名に留まった[86]。
この結果、党内バランスでは立憲出身の議員の数が公示前から7分の1と激減し、党内の比率は21議席(立憲系)対28議席(公明系)で公明出身の議員が数で勝ることとなった[87]。しかし、この惨敗により衆議院で予算を伴う法案や内閣不信任決議案を単独で提出できる51議席をも下回った[88]。元来、民主党系の候補者が強いとされるいわゆる「民主王国」と言われた地域でも自民党をはじめ他党に議席を奪われ、北海道では1勝11敗、愛知では16選挙区のうち、候補を擁立した13選挙区で全敗に終わった[89][90]。また今回の選挙では、ともに連合を支持母体にもつ中道と国民民主党が全289の小選挙区のうち46選挙区で競合した結果、いずれも共倒れに終わり自民党に敗北を喫した。これらの競合選挙区において、中道と国民の候補の得票を単純に足すと、46選挙区中15選挙区で自民候補の得票を超えていた。なお15選挙区は、自民が全勝した東京、神奈川の首都圏がほとんどを占めた[91]。
記録的大敗の背景として、選挙直前の結成による浸透不足に加え、特に前回総選挙で立憲民主党の躍進を支えた無党派層や従来の立憲支持者の票を大きく逸失したことが要因と見られており、その中で中道が掲げた「集団的自衛権の行使容認」「原発再稼働の容認」「旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることを容認」などといった政策が、従来の立憲としてリベラル色の強い政策を大きく転換させたことで政策スタンスが不鮮明になった点や、代表の野田・斉藤に対する好感度の低さ、公明党系の支持母体である創価学会への反発や抵抗感、SNSを中心とした選挙戦略の失敗といった点などが挙げられた[92][93]。共同通信社が実施した出口調査では、2025年の参院選で立憲民主党に投票した人のうち、衆院選で中道に投票した人は6割にとどまり、4割は他党に流出。流出先は自民が最多の8.7%で、チームみらい8.1%、国民民主6.9%、共産党4.2%、維新3%と続いた[94]。
開票当日に、落選した共同幹事長の安住が辞任する意向を示したほか[95]、共同代表の野田と斉藤鉄夫も大敗の責任を取って辞任の可能性を示唆。9日に開かれた役員会の後、野田と斉藤は正式に辞任を表明した[96][97]。なお、これを受けて2月12日告示、13日投開票の日程で中道改革連合代表選挙を行うことを決定した[98]。
衆院選後の党内情勢
2月13日に国会議員49人の投票により行われた代表選挙の結果、小川淳也が階猛を破り、中道改革連合の新代表に選出された[99]。
一方、存続している立憲民主党、公明党の両党の参議院会派は2月18日から開会する特別国会においては統一会派を結成せず、それぞれ別々の会派で活動することを決定した[100]。公明党代表に就任した参議院議員の竹谷とし子は、参議院・地方議員の中道への合流について「選挙制度が衆院と違うところがある。いつまでに決めると区切りをつけてやるべきものではない」「地方議会は首長との関係が重要だ。国政政党間の関係とは違うところもある」と早期の合流については慎重な姿勢を見せた[101][102]。
また、記録的な大敗を喫したことで、主に大きく議席を減らした立憲民主党側の元議員や現職議員からは、新党結成のうえで選挙戦に臨み大敗した当時の執行部に対する責任追及や、比例での上位優遇措置を受けて当選した公明党系議員への批判の意見も上がっており、中には離党して無所属での活動、さらに亀井亜紀子のように立憲民主党へ復帰を模索する元議員も現れる状況となった[103][104][105][106][107]。2月16日には先の総選挙で落選した福田昭夫、藤岡隆雄両元議員が離党を表明した。福田はメディアの取材に対し、特に公明党候補者に対する優遇措置に対して「こんなデタラメな選挙は許せない」と中道執行部を痛烈に批判し、「そんな党にはいられない」と離党の意思を表した[108][109]。さらに同月22日には岡田悟が離党と政界引退の意思を表明した[110][111]。
2月16日、小川代表は執行部人事を固め、幹事長には代表選で争った階猛を選挙対策委員長との兼任で起用し[112]、政調会長に公明党出身の岡本三成、国会対策委員長に立憲民主党出身の重徳和彦を充て、代表代行には公明党出身の元参議院議員で、先の総選挙で当選して国政に復帰したばかりの山本香苗を起用することとなった[113][114]。一方で衆議院副議長は衆議院内で比較第二党(野党第一党)として中道から選出される方向となったが、複数の議員に打診したが固辞されて人事が難航し[115]、一時は泉健太を推薦する方針とも伝えられた[116]が、党内やSNSなどを中心に「若すぎる」と異論が多く集まったほか、本人からもSNSで異論が出たことから方針を改め、公明党系から最多当選者(11回)で代表・閣僚経験者の石井啓一を推薦する方針に変更し、事前の衆議院各派協議会で各派の合意を得られたことから、石井が衆議院副議長に就任した。公明党出身者の国会副議長就任は憲政史上初である[117][118]。なお、石井は慣例により党籍を離脱している[要出典]。
一方、首相指名選挙では事前の三党間の協議で衆参の三会派が小川を首相候補として投票することとなっていたが、参議院の1回目の投票で立憲民主党会派から一清会(小沢グループ)に所属する5名(森裕子、青木愛、木戸口英司、羽田次郎、横澤高徳)が、立憲民主党代表の水岡俊一へ投票を行うなど、統率が乱れる形となった。なお、造反した5名は決選投票においてはいずれも小川に投票した[119][120][121]。
2月28日、中道改革連合は落選者に対するオンラインによるヒアリングを実施し、落選者は立憲民主党出身者を中心に約170名のほか、小川代表、階幹事長のほか、総選挙時の前執行部から野田佳彦、斉藤鉄夫前共同代表が陪席した。落選者から挙がった批判として「公明党出身者を比例代表名簿の上位に搭載した扱い」についての不満が挙がり、「公示日に初めて聞いた」「選挙区で通らないと、ほぼ復活のめどが立たない。支援者も含めて意欲をそがれた」といった声が上がった。一方で公明党からの積極的な選挙支援を受けたことに対し、発言者のほぼ全員が公明党に対する感謝の言葉を口にしたとされる。党内では新党結成を積極的に推進し総選挙での選挙対策を指揮したとされる安住淳前共同幹事長、馬淵澄夫前共同選挙対策委員長に対する不満の声もくすぶっていると報じられたが、両名はヒアリングを欠席した。階は今回欠席した安住、馬淵に関して今後も継続するヒアリングの機会で聴取するとし、敗因分析や党の再建策を盛り込んだ総括文書を4月下旬にもまとめるとした[122][123]。なお、同月26日には落選者が会合を持ち、直近で政治団体を設立することとなった。翌年の統一地方選の応援や、有識者との意見交換などが目的とし、新党を意図したものではないとしている[124]。
4月7日、立憲民主党、公明党と次期統一地方選挙で選挙協力を行うことで合意する[125]。
5月14日に告示された新潟県知事選挙では、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働が主要な争点となる中、公明党の県本部は自民党や日本維新の会、国民民主党の県組織と相乗りで現職の花角英世を支持。一方で立憲の県連は社民党や、前回の知事選で花角を支持した連合新潟と共に新人で元立憲県議の土田竜吾を支持した[126][127]。立公両党が股裂きの状態となる中、中道改革連合は支持候補の表明を見送り、早くも3党の足並みが乱れる構図となった[128]。選挙結果は花角が土田以下の候補に大差を付けて3期目の当選を果たした。
2026年9月に予定される沖縄県知事選挙に向けては、立憲県連が前回知事選で推薦した現職の玉城デニーの支援に前向きな一方、玉城を支援しない方針を一貫して打ち出していた公明党県本部は自民・立憲の両方から秋波を送られる形となった[129]。6月に公明党県本部は自民県連などが支援する新人の古謝玄太を推薦する方向で調整に入ったと報じられ、立公両党の足並みはまたも乱れた[130][131]。6月12日に中道の小川代表は同知事選について、玉城に「極めてシンパシーを感じる」と支援の意向をにじませつつ、機関決定は行わない考えを示した[132]。14日に沖縄県内を地盤とする中道の屋良朝博・新垣邦男両元衆議院議員は玉城を支援する意向を発表。県知事選や普天間基地移設問題の賛否について判断を示さない党の対応を批判したうえで、屋良は「政策が合わないのであれば中道にとどまることに固執する必要はない」とも述べ、離党を示唆した[133]。7月23日に屋良は離党届を党本部に郵送した[134]。28日に屋良の離党を承認した[135]。新垣も8月4日付で離党した[136]。
離党者の続出と新たな受け皿の模索
先の衆院選で落選して党幹部を痛烈に批判していた前衆議院議員の藤原規眞は「これまでの主張を一転し政治資金パーティーの開催を奨励(後述)するなど、党の方針に疑問がある」などとして、3月中に党に離党届を提出する意思を明らかにした[137]。また、前衆議院議員の小山千帆も離党し、政治活動から離れる意思を示した[138]。3月31日の党常任幹事会で福田昭夫、篠田奈保子、岡田悟の離党が了承された[139]。その後も4月13日には藤岡隆雄と藤原規眞[140]、4月21日には小山千帆(国民民主党の日野紗里亜議員秘書に転身)[141]、また同月25日には前衆議院議員の亀井亜紀子と衆院選で落選した新人候補の早智敬、原田謙介、山本誉の離党が発表された[142]。なお、亀井はその後に立憲民主党に入党しており、先の総選挙で中道の公認を受けた候補者では初の立憲への復党事例となった[143]。5月26日には政界引退となる江田憲司と新人候補で元米原市長の平尾道雄[144]の離党がそれぞれ承認された。
さらに6月9日付でかつて立憲民主党神奈川県連代表を務めたこともある阿部知子が離党した[145]。皇位継承や沖縄の基地問題など、中道の政策に対する不一致を要因としており、中道結成は「有権者や議員に説明なく非民主的な手法で、決定的な誤りだった」と批判した。阿部は立憲民主党に一般党員として復党する意思を示している[146]。また、同月9日付で元法務大臣の平岡秀夫も離党し、同月11日付で立憲民主党に一般党員として復党している[147][148]。同月15日には前立憲民主党代表代行の吉田晴美も離党する意思を表明し、無所属での政治活動継続を示している[149][150]。吉田の離党に関しては立憲所属時に代表代行を務めていたこともあり、幹事長の階猛から「常識では考えられない」と批判されている[151]。
元衆議院議員の荒井優も2027年春に予定されている札幌市長選挙へ出馬意向を見せており、その準備のため7月13日に離党届を提出した[152][153]。その後も6月22日に元衆議院議員の大塚小百合も離党届を提出し、7月7日付で承認された[154]。また、新人候補であった落語家の柳家東三楼(稲葉昭義)も6月に離党が承認されており[155]、元衆議院議員の中谷一馬も7月7日に配信された「選挙ドットコム」の動画内で離党していたことが明らかになった[156]。前述の通り、9月に予定される沖縄県知事選挙で現職の玉城デニーを支援するとして、屋良朝博が7月28日付、新垣邦男が8月7日付で離党[135][136]、8月18日に元衆議院議員の山田勝彦も離党を承認され[157]、8月31日には元立憲民主党代表代行の大串博志が離党を表明するなど[158]、衆院選から半年近く経過し、離党の動きが依然として止まらない状態となっている。
このように立憲民主党系を中心とした元議員・候補者の離党が続出している中、新たな受け皿作りを模索する動きがみられる。4月25日、立憲民主党北海道連合は、中道改革連合の北海道内組織「北海道中道改革フォーラム」を同月30日に発足させると発表した[159]。党として初の地方組織となる[160]。 同年5月12日、常任幹事会において2月の衆院選の総括を決定した。立憲民主党と公明党の支持基盤と得票実績を勘案すれば、一定の議席を確保できるとの前提が「最大の誤算」だったと指摘。「選挙目当ての急造新党」との批判を払拭できなかったと分析した[161][162]。
衆院選で落選した元議員で元立憲民主党代表の枝野幸男は、自身を代表とする政治団体である「立憲ネットワーク」の設立を6月1日に埼玉県選挙管理委員会に届け出た。枝野のほか、埼玉県議会議員とさいたま市議会議員計6人が所属する。来春の統一地方選をにらみ、政治活動の基盤とする狙いとみられる[163]。一方、同じく衆院選で落選した元議員の小沢一郎は地元の会合で「(公明党との合流は)単なる数合わせのイメージしかなかった。だからダメだった。公明と仲良くするのは結構なことだが、もっと野党に幅広く声をかけるべきだ」として、中道と公明党との合流に否定的な見解を題したうえで「国民の期待を担う、政権の受け皿になる集団をつくらなければならない」と新たな受け皿作りを示唆する発言を出している[164]。小沢を中心とする一清会(小沢グループ)は5月に国会近くに新事務所を設立した事に関連し、小沢グループは新勢力の結成を示唆し、中道内からは新党結成の準備の一環との見方も出ている[165]。
8月19日、元議員で中道改革連合を離党した阿部知子、平岡秀夫に加え、同じく元議員の川内博史が国会内で記者会見を開き、新たな政治団体「護憲リベラル共生」(略称:ゴリラ)の設立を表明した。現職議員を含む16人の参加が見込まれており、政党化も模索しているとされる[166]。一方で立憲民主党系の中道所属元議員52人が同日、意見交換会を行い、現時点の三党合流に非常に慎重で否定的とする意見が多数寄せられた。意見を集約したうえで党執行部に伝達されるとしている。同会で議長役を務めた今井雅人は「地元活動をしている中、無党派層だけではなく、もともとの支持者が崩れたと実感した人が大変多くいた」と述べ、「現時点の三党合流に非常に慎重で、否定的な意見が多いという意見を多数伺った」と明かした。その上で、「われわれは立憲民主党出身の議員の集まりだ。立憲民主党の参議院議員や地方組織が参加しない中での公明党との合流は認められないというのが総意だ」と述べた[167]。中道改革連合代表の小川は、中道の概念を逸脱するものではなく自由闊達な議論を進めるべきとして歓迎しているが[168]、このように落選組の多くが三党合流には慎重でありながらも、様々なグループに分散する状況になりつつある。
元議員に対する金銭的支援の模索
2026年3月3日、階幹事長は衆院選落選者を支援するためクラウドファンディングを開始すると会見で述べた。2026年12月までに1億円を目指し、返礼品として、1万円以上を寄付した支援者には小川代表や山本香苗代表代行の直筆サインが入った「写真付き名刺」と礼状を贈る[169]。2026年6月22日、目標を達成した[170]。
同月6日、小川淳也代表が政治資金パーティーの開催を推進すると会見で述べた[171][172]。同月9日、立憲民主党の水岡俊一代表が政治資金パーティー開催の自粛方針を解除したと会見で述べた[173]。
立憲民主党時代には2024年5月20日に政治資金パーティーを禁ずる法案(政治資金パーティーの開催の禁止に関する法律案)を出しており、違反すると1年以下の拘禁刑や公民権停止などの罰則を明記していた[174][175]。この方向転換については、国会議員数によって交付される政党助成金に頼っていたが衆院選落選者が多く出てしまい活動資金を手当てする余力が無くなったのではと報じられている[176]。一方で党の政治資金パーティーの推奨に対して反発する意見もあり、前述の通り一部の離党者も出している。
同年4月14日、落選者支援制度を5月から行うことを発表。党が判断した落選者に対して月額約40万円の支給を検討している[177][178]。政党交付金から支出するため、私的流用が出来ず利用の際には領収書の公開が必要だと、伊佐進一衆院議員が説明した[179]。
中道・立憲・公明の3党の合流構想
中道改革連合と公明党、立憲民主党との合流については、公明党は積極的姿勢を見せているものの、立憲民主党では早期の合流に慎重な姿勢を見せており、各党間で温度差が生じさせている。そのような中、5月27日に中道改革連合代表の小川淳也は会合の席で「公明が前向きなことに比べ、(立憲が)腰が引けているのは事実だ」などと立憲民主党について批判したうえで、公明党との先行合流について含みをもたせる発言をした[180]。この発言に対し立憲側から反発する意見がみられたこともあり、2日後の29日に小川代表は「ことば選びとして極めて不適切だった。価値判断を含むような言い方をすべきでなく猛烈に反省している」と陳謝し丁寧に意思疎通を図っていく考えを示した[181]。中道・公明側が3党の合流へ先を急ぐ姿勢には各党の低支持率が背景にあるとされ、中道の政党支持率は各メディアで2~3%程度の低水準であり、総選挙当時の支持率より大幅に低下しているとされる[182]。低支持率の背景として重要な政策課題で各党の対応が割れるなどして存在感を示せず、国民に分かりにくい状態が続いてこともあるとみられるほか、公明党支持母体の創価学会による若い世代の集票力も鈍いことも理由に挙げられる[183]。合流に慎重な姿勢を崩さない立憲に対し、中道・立憲の支持母体のひとつである連合傘下の産業別労働組合も3党の合流へ向けて立憲側へ圧力をかけており、中道・公明側との新党結成への協議体の設置を呼びかけている状況となっている[184]。
中道改革連合・公明党・立憲民主党の三党の合流後の受け皿については三党の合流協議において、以下の4案について協議されている[185]。
- .新設合併による新党結成 - 中道改革連合・公明党・立憲民主党の三党がいずれも解党し、新たに受け皿となる新党を結成する。
- .中道改革連合への合流 - 公明党・立憲民主党が解党し、中道改革連合を「存続政党」とする形で両党から合流する。両党の地方議員も合流。
- .一部議員の中道改革連合への入党 - 公明党・立憲民主党両党所属の参議院議員が離党して、中道改革連合へ入党する。両党は地方議員を中心に存続する。
- .三党存続 - 中道改革連合・公明党・立憲民主党いずれも存続し、政党間の連携や参議院で統一会派を結成する。新党案・合流案いずれもが合意できなかった場合とする。
2026年7月31日に党首会談が行われて協議の中間整理の取りまとめが行われた。1の新設合併は手続きが煩雑である事と資金面の負担が大きい事から見送られ、 立憲と公明を残したまま両党の参議院議員が離党して中道に入党する「離党・入党」と、立憲と公明を解党・分党して中道に合流する「存続合併」の2案に絞られた。また8月末を目処に結論を得る事も併せて発表された[186]。 特に意見の相違が大きい立憲民主党では、8月2日より意見交換会を開催し、8月下旬までに集約し党方針を決める方向で調整していた[187]が、同月27日に三党による幹事長会談が行われ、立憲民主党の田名部匡代幹事長は早期合流を見送る方針を伝えた。立憲内で地方議員を中心に合流に慎重な意見が相次いでおり、統一会派結成を推進する立場と見られる[188][189]。一方で合流を推進している公明党は統一会派では不十分と立憲の姿勢に不満の立場であり、協議決裂となった場合は中道から公明党出身議員を離脱させる強硬な意見も見られるなど、足並みが揃っていない状態であった[190]。
3党の合流構想の破綻
立憲は翌28日に臨時常任幹事会を開き、早期合流の見送りを正式に決定した[191]。同日に党首会談が行われ、立憲の水岡代表は「中道への組織的合流はしない」と表明。その上で公明党との統一会派の結成を含む連携や、2027年の統一地方選挙に向けた協力を提起した。しかし、会談に同席した公明党の西田実仁幹事長は「根本の政策が一致していない」として統一会派の結成を否定した[192]。これにより各党の思惑が相違し3党の合流へ向けての協議は事実上破綻したことで、中道改革連合が結党された「(将来的な)中道・リベラル勢力の結集」という目的が失われることとなったと言える。毎日新聞など各メディアは29日以降の記事で、公明党出身議員の中道からの離脱という形や公明党系との分党といった形などでの分裂の可能性が高まったと報じた[193]。この報道に対し、中道の広報委員長である伊佐進一は同月31日のYouTube配信で、報じられている公明系議員の中道離脱の動きについて否定した[194]。一方で立憲出身で元衆議院議員の大串博志が同日、中道を離党する意思を示した[195]。
同月31日、中道は公明が求めてきた両党の合流についても見送る事となった。これにより中道を核とした野党結集構想が完全に破綻することとなった[196][197]。同日午後の再会談では、3党合流を見送ることを確認した。中道の小川代表や斉藤鉄夫顧問は取材に対し、報じられている中道の分裂についてはそれぞれ否定しないコメントを出しており、このことから中道改革連合は結党から僅か約7ヶ月で、立憲民主党系議員と公明党系議員の両勢力に分裂することが決定的となった[198]。中道執行部は分裂した後も両勢力による衆議院での統一会派結成を目指す方針としている。しかし、分裂を前に前述の大串のように立憲系の一部が中道から距離を置く動きも出ており、先行きは不透明である[31]。
綱領
2026年1月19日に行われた安住淳(立憲民主党幹事長)と西田実仁(公明党幹事長)の共同記者会見において発表された[199]。
近年、世界はインフレの進行と国際秩序の動揺の中で、極端な思想や社会の不安を利用して、分断をあおる政治的手法が台頭し、社会の連帯が揺らいでいる。
日本においても、右派・左派を問わず急進的な言説が目立ち始め、多様性を尊重し、共に生きる社会を築こうとする努力が、いま脅かされている。この現実を前に、政治が果たすべき責任は重い。
対立をあおり、分断を深める政治ではなく、対立点を見極め、合意形成を積み重ね、生活者ファーストの政策を着実に前へと進める中道政治の力が求められている。それは困難な現実に正面から向き合い、最適解を導き出す、最も責任ある政治の道である。
私たちの掲げる理念は、「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」である。
国民一人ひとりが自分らしく生き、その活力が社会の発展を支える政治を目指す。国家やイデオロギーのために国民を従わせる政治ではなく、人間の尊厳を守り抜く政治を、我が国の中心に据え直すという、揺るぎない決意である。
「中道改革連合」は、多党化が進み、政治が揺れ動く時代にあって、極端主義に立ち向かい、不毛な対立によって社会が引き裂かれることを防ぐ責任ある中道改革勢力として立ち上がる。国民の利益と幸福に奉仕する国民政党として、国民が求める改革を主導する基軸となることを目指す。
そのために、私たちはここに、5つの政策の柱を掲げる。
▼第1の柱
一人ひとりの幸福を実現する、持続的な経済成長への政策転換
人への投資や生産性革命等を通じて、持続的賃上げを実現し、経済成長を分配へとつなげ、生活者の豊かな暮らしを実現する。
▼第2の柱
現役世代も安心できる新たな社会保障モデルの構築
持続可能な経済成長を実現し、弱者を生まない社会を築くために、誰もが必要な支援にアクセスできるよう、教育・医療・介護などのベーシックサービスを充実させ、現役世代の負担に配慮した、持続可能な社会保障を実現する。
▼第3の柱
選択肢と可能性を広げる包摂社会の実現
教育格差の是正、ジェンダー平等、多文化共生、気候変動対策を進め、誰もが自分らしく生きられる社会をつくる。
▼第4の柱
憲法の平和主義に基づく専守防衛を基本に、日米同盟と平和外交を軸とした、国民の平和と安全を守る現実的な外交・防衛政策を進める。
▼第5の柱
不断の政治改革と選挙制度改革
政治への信頼を回復するため、政治資金の透明化を断行し、民意が正しく反映される選挙制度改革など、政治改革に取り組む。
「中道改革連合」は、改革の軸として、理想を掲げながら現実的な政策実現のために結集する。その責任を果たす覚悟を持って、私たちは新たな歩みを始める。
政策
基本政策
2026年1月19日の本庄知史(立憲民主党政調会長)と岡本三成(公明党政調会長)の共同記者会見にて発表された[200]。
《「中道改革連合」の基本政策 生活者ファーストの政治の実現へ-より良い未来に向けた社会のかたちの再設計》
- ▽第1の柱
【一人ひとりの幸福を実現する、持続可能な経済成長への政策転換】
- 生活者ファーストへの政策転換と、手取り対策にとどまらない額面が増える経済構造の構築
- 行き過ぎた円安の是正と、食料品・エネルギーなど生活必需品の物価引き下げ
- 防災・減災および国土強靭化の強化に向けた、インフラ更新・流域治水・耐震化等への重点投資の推進
- 再生可能エネルギーの最大限活用。将来的に原発へ依存しない社会を目指しつつ、安全性が確実に確認され、実効性のある避難計画があり、地元の合意が得られた原発の再稼働。次世代技術の開発促進などによるエネルギー安全保障の確保と脱炭素社会を実現。
- ▽第2の柱
【現役世代も安心できる新たな社会保障モデルの構築】
- 政府系ファンド(ジャパン・ファンド)の創設や基金の活用などによる財源確保と、食料品消費税ゼロおよび社会保険料等負担の低減
- 医療・介護・障がい福祉・教育など、生きていく上で不可欠な公的サービスへのアクセスを保障するベーシック・サービスの拡充
- 予防医療の充実による健康寿命の延伸と、国民のウェルビーイングの向上
- 中低所得者の負担軽減と格差是正に向けた「給付付き税額控除制度」の早期導入、社会保障と税の一体改革への取り組み
- ▽第3の柱
【選択肢と可能性を広げる包摂社会の実現】
- 教育の無償化拡大と質の向上、ならびに社会人・高齢者を含む学びなおし・リスキリングの制度的保障など「人への投資」の拡充
- 選択的夫婦別姓などジェンダー平等およびルールに基づく多文化共生などの推進による、マイノリティも含め誰もが尊厳を持って生きられる社会の構築
- 持続可能な地球環境を未来に引き継ぐための、気候変動対策および生物多様性を守る環境政策の推進
- 食の安全の観点も踏まえた農林水産業支援、地域資源の活用・育成、地域医療への支援などによる地域の活力と魅力の向上
- ▽第4の柱
【現実的な外交・防衛政策と憲法改正論議の深化】
- 積極的な対話と平和外交の一層の強化。自由、民主主義、人権、法の支配などの普遍的価値や原則に基づく国際秩序の堅持。
- 激変する安全保障環境へ適切に対応する防衛力等の整備。憲法の専守防衛の範囲内における日米同盟を基軸とした抑止力・対処力の強化。平和安全法制が定める存立危機事態における自国防衛のための自衛権行使は合憲。非核三原則の堅持。
- 中国に対する懸念への毅然とした対応と、国益確保を両立させる中長期的視点に立った戦略的互恵関係の構築
- 立憲主義、憲法の基本原理を堅持した上で、国民の権利保障、自衛隊の憲法上の位置付けなどの国会での議論を踏まえ、責任ある憲法改正論議の深化
- ▽第5の柱
【不断の政治改革と選挙制度改革】
- 政治資金の透明性・公正性を確保する法整備による、政治とカネをめぐる問題への終止符
- 企業・団体献金の受け手制限規制の強化。不正防止を担う第三者機関の創設。
- 民意を的確に反映する選挙制度への改革と、司法の要請および有識者の知見を踏まえた公正な制度への移行
2026年2月時点で検討段階にある政策
普天間基地移設問題
- 2026年1月24日付の時事通信社の報道によれば、野田代表は同日放送のインターネット動画サイトの党首討論会において、普天間飛行場の辺野古移設について、賛否を明言せず、「県民の声を踏まえて対応していく」「慎重な立場だ」と語ったとされる[201]。
- 2026年1月25日付の読売新聞社の報道によれば、普天間基地移設問題を巡り、公明党は自民党との連立政権下で移設計画を進めてきた一方、立憲民主党は「移設中止」を公約として掲げてきた。同日放送のフジテレビの番組で、この方針の整合性を問われた野田代表は、「政調会長間で詰めてきたが、衆院解散には間に合わなかった」「早急に選挙が終わった後に結論を出したい」と述べたとされる[202]。
- 2026年2月9日付の琉球新報社の報道によれば、斉藤・野田両共同代表は、同紙記者から辺野古新基地に関する党の政策や対応が明確でない点について問われた。これに対し、斉藤代表は「現地の皆さんの気持ちをよく聞きながら、丁寧に進めていく」と述べ、野田代表は発言しなかった。同紙は、両代表が明確な回答を示さなかったと報じた[203]。
- 一方、移転問題を抱える立憲民主党の沖縄県連からは、選挙直前に当時の幹事長であった安住淳の辺野古移転容認を示唆する発言に猛反発したほか、選挙後の新代表選出に合わせる形で「辺野古反対の民意は示されている。しっかりくみ取ってほしい」「選挙後の今も県民から厳しい批判があり、説明責任が求められている」として、「辺野古新基地建設中止の取り組みを求める要請」する文書を新代表となる小川らに提出[204]しており、移転を容認する公明党沖縄県本部や中道側との姿勢に齟齬がみられている。なお、沖縄県内に擁立した中道の小選挙区候補者3名は全員落選しており、立憲民主党が枠組みに加わっているオール沖縄側が擁立した候補者もすべて議席を失った。
党名について
当初、党名案には「中道改革」[205]「中道連合」[206]「改革」[207]なども取り沙汰されたが、最終的に「中道改革連合」で合意した。
中道は元々、煩悩を滅して涅槃に至る過程とされる仏教用語[208][209]であり、公明党が重視してきた理念である。また、公明党の支持母体である創価学会の名誉会長だった池田大作は、著書「新・人間革命」の中で中道政治について解説しており[210]、初代共同代表の野田佳彦も強く共感していた[211]。
中道改革連合に批判的な政党[212]や政治家[213]、評論家[214]、SNSユーザーの間では、中道改革連合を公式側が定めた中道ではなく「中革連」と略すこともあり[注釈 10]、立憲民主党から合流しなかった原口も末松義規が意に反してゆうこく連合に合流しなかった際のSNSの投稿で「中革連」と呼称している[215]。また、「立憲共産党」という呼称を多用していた自民党副総裁の麻生太郎は、「立憲公明党」、「チュウカクとかチュウカクレンみたいな名前」と、中道改革連合を皮肉っている[216]。
一方、この中革連という略称から派生して、5ちゃんねる上のパロディ画像を発端とした「中革連という中国の組織のロゴと中道改革連合のロゴが似ている」というデマも発生している[217]。
役職
代表
共同代表
歴代執行役員一覧
| 共同代表 | 副代表 | 共同幹事長 | 共同政務 調査会長 |
共同選挙対策 委員長 |
選挙対策委員会 事務局長 |
共同国会対策 委員長 |
就任年月 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 野田佳彦 斉藤鉄夫 [注釈 11] |
菊田真紀子 近藤昭一 赤羽一嘉 浮島智子 |
安住淳 中野洋昌 |
本庄知史 岡本三成 |
馬淵澄夫 河西宏一 |
逢坂誠二 | 笠浩史 中川康洋 |
2026年1月22日[221][222][223] | |||||
| 代表 | 副代表 | 代表代行 | 幹事長 | 幹事長代行 | 議員総会長 常任幹事会議長 |
政務調査会長 | 選挙対策 委員長 |
選挙対策 委員長代行 |
国会対策 委員長 |
組織委員長 | 広報委員長 | 就任年月 |
| 小川淳也 | 西村智奈美 早稲田夕季 赤羽一嘉 浮島智子 |
山本香苗 | 階猛 | 中野洋昌 | 菊田真紀子 | 岡本三成 | 階猛 | 河西宏一 | 重徳和彦 | 渡辺創 | 伊佐進一 | 2026年2月18日[224] |
組織
2026年2月現在、衆議院議員のみで構成される政党である。参議院議員および地方組織は、立憲民主党・公明党のそれぞれの組織が存続する[32]。