神護景雲3年(769年)、不破内親王が息子の氷上志計志麻呂を皇位につけるための陰謀を企てたとされ、これに県犬養姉女・忍坂女王・石田女王らが協力し、称徳天皇の命を縮める呪詛のために天皇の髪の毛を盗んで佐保川で入手した髑髏に納め、宮中に持参してまじないを行うこと3度に及んだとの理由で、不破・志計志麻呂母子とともに、彼女たちも遠流に処せられた[1]。
『続日本紀』の宝亀2年(771年)8月の記述によれば、不破たちを訴えたのが丹比乙女であったとされている。同じ記述によると、
初め乙女は、忍坂女王、県犬養姉女ら乗與(じょうよ)を厭魅(えむみ)すと誣告(むがう)す
とあり、その後、姉女らの冤罪が判明し、彼女の申し立てが偽りであったということになった。そこで、朝廷はこの時に乙女の外従五位下の位記を破毀したが[2]、その後、乙女がどのような処罰を受けたのかは明らかではない[注釈 1]。