丹羽氏音

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時代 江戸時代中期
生誕 延宝6年(1678年
別名 庄之助
 
丹羽 氏音
時代 江戸時代中期
生誕 延宝6年(1678年
死没 宝永2年閏4月7日1705年5月29日
別名 庄之助
戒名 後勝院殿傑岑良英大居士
墓所 江戸浅草海雲寺
官位 従五位下越中守壱岐守和泉守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
美濃岩村藩主→越後高柳藩
氏族 譜代丹羽氏一色氏
父母 父:丹羽氏春、母:遠藤與五左衛門の娘
兄弟 氏右氏音、與喜(村上正邦の室)
正室:井上正任の娘
養子:薫氏
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丹羽 氏音(にわ うじおと)は、美濃岩村藩第5代藩主、越後高柳藩の初代藩主。氏次系丹羽家6代。

岩村藩2代藩主の丹羽氏信の子(3代藩主丹羽氏定の弟)で分家して旗本となっていた丹羽氏春の次男として生まれた。

貞享3年(1686年)3月、第4代藩主・丹羽氏明末期養子となり、閏3月27日に遺領を継いで岩村藩主となった。

元禄5年(1692年)12月18日、従五位下を叙せられ、越中守に任じられた。元禄8年(1695年)、壱岐守に改めた。

元禄10年(1697年)、井上正任の娘と婚姻した。

元禄14年(1701年)12月、和泉守に改めた。

元禄15年(1702年)5月、藩内でお家騒動丹羽家騒動)が勃発した。6月に徒党30名が処罰され、氏音は政令疎怠を理由に閉門させられ、9千石を減らされて、7月に越後国高柳藩1万石に移封されて、閉門蟄居を命じられた。岩村城は丹羽氏の残士が守っていたが、苗木藩主の遠山友春信濃飯田藩主の堀親賢が丹羽氏から請け取った。丹羽氏の残士は岩村城の俄坂より退出した。堀親賢は直ちに帰ったが、遠山友春は残って残務を処理し、家臣の宮地守右衛門と若干の部下の将卒に城代留守を命じて帰った。岩村城下にあった丹羽氏の菩提寺の妙仙寺を、越後高柳に移した。

元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より松平乗寿の孫・松平乗紀が岩村藩の第8代藩主として2万石で岩村城に入ることになり、松平家家臣の河合宗右衛門と味岡次郎左衛門らが岩村へ赴き、上使立会いのもとに岩村城の引き渡しを受けた。

同年12月24日に、氏音は閉門蟄居を許されたが、将軍綱吉に対する拝謁は許されず、元禄16年(1703年)4月25日、赦免されたが、越後高柳へ赴くことは認められず江戸に留まった。

宝永2年(1705年)閏4月7日に、江戸で没した。享年28歳。江戸浅草海雲寺に葬られたが、寺が移転したため、現在は杉並区にある。

男子が無かったため、甥の丹羽薫氏末期養子となり高柳藩主を嗣いだが、後に播磨三草藩に移封となり、一色丹羽氏の三草藩は廃藩置県まで続いた。

丹羽家騒動(徒党事件)

参考文献

脚注

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