松平乗美

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時代 江戸時代後期
生誕 寛政4年3月15日1792年5月5日[1]
または寛政3年(1791年[2]
改名 幸之進・卓太郎(幼名)→乗美
 
松平乗美
時代 江戸時代後期
生誕 寛政4年3月15日1792年5月5日[1]
または寛政3年(1791年[2]
死没 弘化2年8月20日1845年9月21日
改名 幸之進・卓太郎(幼名)→乗美
戒名 寂通院天心成徳
墓所 東京都台東区谷中の春性院墓地
官位 従五位下河内守能登守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
美濃岩村藩
氏族 大給松平家
父母 父:松平乗保、母:池田氏(側室)
兄弟 乗友乗美乗時
正室:朽木倫綱
側室:千葉氏
乗啓[注釈 1]乗喬[注釈 1]乗敦[注釈 1]牧野忠興[注釈 1]
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松平 乗美(まつだいら のりよし)は、江戸時代後期の大名美濃国岩村藩主。乗政流大給松平家6代。官位従五位下河内守能登守

寛政4年(1792年)3月15日(または寛政3年(1791年))、先代藩主・松平乗保の次男として生まれた。幼名は幸之進。後に卓太郎と改めた。

文化4年(1807年)冬、16歳で諸大夫・河内守に任じられ、江戸城の雁之間に出仕し、将軍徳川家斉に謁見した。

文化8年(1811年)11月、福知山藩主の朽木綱方の妹と婚姻したが、文化11年(1814年)に離縁した。

その後は正室は持たず、側室の千葉氏の娘との間に3男1女が生まれた。

文政9年(1826年)6月、父の乗保の卒去により長兄の乗友が早世していため、岩村藩主となり能登守に改め、9月13日に、老臣の味岡杢之亟と丹羽瀬清左衛門を伴って将軍に御目見した。

文政10年(1827年)、大坂加番に任じられ、丹羽瀬清左衛門を筆頭家老に任じた。

文政12年(1829年)2月、代官の橋本祐三郎を死罪に処した。

文政13年(1830年)6月、桜田門御門番に任じられた。

天保5年(1834年)、江戸藩邸が類焼した。

天保6年(1835年)2月、2度目の大坂加番に任じられた。

天保8年(1837年)7月、丹羽瀬騒動により丹羽瀬清左衛門を罷免し蟄居させた。

天保12年(1841年)2月、3度目の大坂加番に任じられた。

天保13年(1842年)11月16日、隠居して中務大輔と称し、次男の乗喬に家督を譲った[注釈 2]

弘化2年(1845年)8月20日に卒去した。享年54(または55)。

主な藩士

= 脚注

参考文献

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