久井町 (和泉市)
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| 久井町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯34度25分5.1秒 東経135度27分33.1秒 / 北緯34.418083度 東経135.459194度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年09月末日現在[1]) | |
| 人口 | 663 人 |
| 世帯数 | 338 世帯 |
| 面積(2023年02月現在[2]) | |
| 0.893 km² | |
| 人口密度 | 742.44 人/km² |
| 設置日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
| 郵便番号 | 594-1142[3] |
| 市外局番 | 0725(和泉MA)[4] |
| ナンバープレート | 和泉 |
久井町(ひさいちょう)は、大阪府和泉市の中部地域[注釈 1]にある町名。
江戸時代には国学者である僧契沖がこの地に居を構えていた[注釈 2]。
現在、住居跡には「阿闍梨契沖の遺跡碑」と「僧契沖遺愛の井戸」が残されている。街の西側にはテクノステージが造成され境を流れる松尾川は整備が進められ、両岸には管理道路や公園が設けられ、散歩コースとして親しまれている。また、川沿いには桜並木が整備されており、春には花見の名所として賑わい、初夏には蛍が舞い、豊かな自然が町民に憩いを与えている[6]。
河川・ため池
歴史
地名の由来
久井(ひさい)は、その名称が地内前代にある「清泉久井」に由来するとされている[10]。
沿革
かつての久井村は1605年(慶長10年)の和泉国絵図に見られる村名。
明治に入ると和泉郡[注釈 4]久井村となり、1889年(明治22年)には和泉郡松尾寺村・春木村・久井村・若樫村・春木川村の合併により南松尾村が発足し、村域を「大字久井」に改称。「大字久井」に村役場を設置。その後、1896年(明治29年)に郡制の施行により泉北郡に属する。1956年(昭和31年)には和泉町、泉北郡北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村の合併により和泉市が発足し「久井町」に改称[11][12]。
- 1956年(昭和31年)09月01日 - 1町6村の合併により和泉市が発足。
- 2017年(平成29年)03月31日 - 和泉市立南松尾小学校閉校。
住居表示
人口統計
人口と世帯数
2024年(令和06年)09月末日現在の人口と世帯数は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 男 | 女 | 丁目計 | 世帯数 |
|---|---|---|---|---|
| 久井町 | 333人 | 330人 | 663人 | 338世帯 |
年齢別人口
2024年(令和06年)09⽉末⽇現在の年齢別人口は以下の通りである[14]。
| 丁目 | 0-14歳 | 15-64歳 | 65歳以上 | 丁目計 |
|---|---|---|---|---|
| 久井町 | 41人 | 341人 | 281人 | 663人 |
※0-14歳は年少人口、15-64歳は生産年齢人口、65歳以上は老年人口を表す。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成07年)[15] | 1,190 |
| 2000年(平成12年)[16] | 1,170 |
| 2005年(平成17年)[17] | 1,082 |
| 2010年(平成22年)[18] | 1,092 |
| 2015年(平成27年)[18] | 1,000 |
| 2020年(令和02年)[18] | 923 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成07年)[15] | 255 |
| 2000年(平成12年)[16] | 255 |
| 2005年(平成17年)[17] | 246 |
| 2010年(平成22年)[18] | 261 |
| 2015年(平成27年)[18] | 266 |
| 2020年(令和02年)[18] | 275 |
小・中学校の通学区域
市立小・中学校の通学区域は以下の通りである[19]。
| 丁目 | 街区 | 小中一貫校 |
|---|---|---|
| 久井町 | 全域 | 和泉市立南松尾はつが野学園 |
