若樫町
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| 若樫町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯34度24分40.7秒 東経135度27分43.7秒 / 北緯34.411306度 東経135.462139度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2024年09月末日現在[1]) | |
| 人口 | 432 人 |
| 世帯数 | 197 世帯 |
| 面積(2023年02月現在[2]) | |
| 0.006 km² | |
| 人口密度 | 72000 人/km² |
| 設置日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
| 郵便番号 | 594-1143[3] |
| 市外局番 | 0725(和泉MA)[4] |
| ナンバープレート | 和泉 |
若樫町(わかかしちょう)は、大阪府和泉市の中部地域[注釈 1]にある町名。
松尾寺の僧侶による修剣道場として祀られてきた菩堤郷の大日大聖不動明王(不動尊)が信仰されており、仁和寺との関連も伝えられている。さらに、春の訪れを告げる大阪府天然記念物である枝垂れ桜「百滝桜」は、この地を訪れる人々の心を潤す存在となっている[6]。
河川・ため池
歴史
地名の由来
若樫(わかかし)は、「弘法の井戸伝説」に由来する地名である。この伝説によれば、弘法大師が当地で一夜を過ごした際、感謝の印として清らかな水が湧き出る井戸を掘り、そのそばに若芽を出す樫の木を植えたとされている。この出来事が地名の由来となり、現在も地域の歴史と結びつく象徴的な話として語り継がれている[6]。
沿革
かつての若樫村は1605年(慶長10年)の和泉国絵図に見られる村名。
しかし、若樫には南北朝時代の内乱で戦死した人々を供養するために建立されたと伝えられる「子堂」が現存している。この子堂の周辺には五輪塔や石碑が見られ、その中には1402年(応永9年)の年号や「菩提寺」という文字が刻まれたものも含まれている。このことから、14世紀にはすでに寺院が存在していた可能性がある[10]。
明治に入ると和泉郡[注釈 3]若樫村となり、1889年(明治22年)には和泉郡松尾寺村・春木村・久井村・若樫村・春木川村の合併により南松尾村が発足し、村域を「大字若樫」に改称。「大字久井」に村役場を設置。その後、1896年(明治29年)に郡制の施行により泉北郡に属する。1956年(昭和31年)には和泉町、泉北郡北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村の合併により和泉市が発足し「若樫町」に改称[11][12]。
住居表示
人口統計
人口と世帯数
2024年(令和06年)09月末日現在の人口と世帯数は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 男 | 女 | 丁目計 | 世帯数 |
|---|---|---|---|---|
| 若樫町 | 218人 | 214人 | 432人 | 197世帯 |
年齢別人口
2024年(令和06年)09⽉末⽇現在の年齢別人口は以下の通りである[14]。
| 丁目 | 0-14歳 | 15-64歳 | 65歳以上 | 丁目計 |
|---|---|---|---|---|
| 若樫町 | 24人 | 227人 | 181人 | 432人 |
※0-14歳は年少人口、15-64歳は生産年齢人口、65歳以上は老年人口を表す。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成07年)[15] | 739 |
| 2000年(平成12年)[16] | 703 |
| 2005年(平成17年)[17] | 623 |
| 2010年(平成22年)[18] | 609 |
| 2015年(平成27年)[18] | 536 |
| 2020年(令和02年)[18] | 485 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成07年)[15] | 179 |
| 2000年(平成12年)[16] | 172 |
| 2005年(平成17年)[17] | 174 |
| 2010年(平成22年)[18] | 164 |
| 2015年(平成27年)[18] | 163 |
| 2020年(令和02年)[18] | 147 |
小・中学校の通学区域
市立小・中学校の通学区域は以下の通りである[19]。
| 丁目 | 街区 | 小中一貫校 |
|---|---|---|
| 若樫町 | 全域 | 和泉市立南松尾はつが野学園 |
