久伊豆神社 (越谷市)

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所在地 埼玉県越谷市越ヶ谷1700
位置 北緯35度54分6.4秒 東経139度47分25.8秒 / 北緯35.901778度 東経139.790500度 / 35.901778; 139.790500座標: 北緯35度54分6.4秒 東経139度47分25.8秒 / 北緯35.901778度 東経139.790500度 / 35.901778; 139.790500
主祭神 大国主命
久伊豆神社

拝殿
所在地 埼玉県越谷市越ヶ谷1700
位置 北緯35度54分6.4秒 東経139度47分25.8秒 / 北緯35.901778度 東経139.790500度 / 35.901778; 139.790500座標: 北緯35度54分6.4秒 東経139度47分25.8秒 / 北緯35.901778度 東経139.790500度 / 35.901778; 139.790500
主祭神 大国主命
社格郷社
創建 平安時代中期
地図
久伊豆神社の位置(埼玉県内)
久伊豆神社
久伊豆神社
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久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、埼玉県越谷市越ヶ谷にある神社である。越谷の総鎮守とされている。旧社格は郷社。宮内庁埼玉鴨場と共に市の「環境保全区域」に指定されている。当社のほか、越谷市内に7社の「久伊豆神社」が鎮座している。

(※越谷市は越ヶ谷久伊豆神社を中心とした天嶽寺の文化歴史環境、越ヶ谷久伊豆神社の社叢と越谷アリタキ植物園の自然環境、さらに緑の森公園と元荒川河畔を含めた約8.5ヘクタールを越谷市環境保全区域として指定している[1]。)

創建は鎌倉時代とされている。神紋は立葵である。これは、近くに徳川将軍家が鷹狩などを行う越ヶ谷御殿があったことから、葵紋の使用が特別に許可されたものとされている。境内には、国学者・平田篤胤の仮寓跡とされる松声庵がある。境内のは県指定の天然記念物となっている。

久伊豆神社は、埼玉県元荒川流域を中心に分布する神社である。祭神は大己貴命(大国主)である。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。加須市玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている[2]

国登録有形文化財(建造物)に登録

越谷久伊豆神社の本殿・神楽殿・手水舎は2025年8月6日、国登録有形文化財(建造物)に登録された。

  • 本殿;境内の北側に位置する本殿は、寛政元年(1789年)に建設されたもので、精巧な彫刻で飾った装飾華やかな建物である。
  • 神楽殿:境内の参道東側に位置する神楽殿は、明治前期に建設され、舞台の三方には高欄付きの縁を廻らし、今もなお神楽の舞台として利用されている。
  • 手水舎:手水舎は境内の参道東側に位置し、嘉永2年(1849年)の銘がある手水鉢を覆う建物で、手水鉢と同時期の江戸時代末期の建設と言われている[3]

樹齢250年の天然記念物「大藤」

第三鳥居のそばに池があり、池ほとりには江戸時代後期の国学者平田篤胤の仮寓跡があり、彼が愛でた株周り7mもある樹齢250年の天然記念物「大藤」は毎年見頃の時期にフジ (植物)まつりが開催されるほどである。 毎年4月29日には御神楽を奉納し、営業繁栄や家内安全を祈願した後、藤を奉じる神事『藤祭太々神楽講』が開かれる。

また、池の中央には水神社があり、が顔を覗かせる。池の周囲には5つの社と祖霊社が配置されている[4]

池の中央に水神社

南洋神社

旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿

また、本殿の裏手には第二次世界大戦中、パラオ共和国コロール島に建立され日本人入植者などの信仰を集めた「南洋神社」をしのぶ「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」が建立されている。 久伊豆神社の本宗である伊勢神宮の南洋における分社であったことと、土屋義彦埼玉県知事(1992年 - 2003年在任)が遺骨収集団団長としてパラオを訪問していて交流が深かったことから建立が決まった。2004年4月11日の竣工奉祝祭にはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領も出席した。

また、久伊豆神社先代宮司の小林茂は、サイパン島の八幡神社を彩帆八幡神社として再建した。1980年(昭和55年)9月には現地で再建鎮座奉祝祭が行われた。

クイズ神社

外部リンク

脚注

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