久松定謨
日本の陸軍軍人
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経歴
- 慶応3年(1867年)伊予松山藩主家の分家(松平定実系)である旗本・松平勝実の三男として生まれる。母は池田長休の娘。
- 明治5年(1872年)本家の当主である伊予松山藩知事久松定昭が逝去し、その遺言によって定昭の養子となり、本家を継ぐ。
- 明治15(1882年)元服、従五位に叙任。
- 明治16年(1883年)11月、フランスに留学する。
- 明治17年(1884年)7月7日、伯爵を綬爵し、華族となる[1]。この時の位階は従五位。
- 明治20年(1887年)10月、フランスのサンシール陸軍士官学校に入校する[2]。
- 明治22年(1889年)8月、サンシール陸軍士官学校歩兵科を卒業、大日本帝国陸軍歩兵少尉に任官。久松は日本の陸軍士官学校は卒業していないが、陸軍人事上は士官生徒第11期(陸士旧11期)相当と扱われ、菊池慎之助・奈良武次・西川虎次郎が同期生となる。
- 明治23年(1890年)私費留学としてフランス陸軍のツール歩兵第66連隊で隊附勤務。
- 明治24年(1891年)私費留学を終えて12月に帰国し、近衛歩兵第2連隊附。
- 明治28年(1895年)
- 明治29年(1896年)
- 明治30年(1897年)
- 明治32年(1899年)正四位に昇叙する。
- 明治35年(1902年)
- 明治36年(1903年)11月、少佐進級と共に正式な駐在武官に昇格する。
- 明治39年(1906年)
- 1月、参謀本部附仰付。
- 8月、帰国する。この年、従三位に昇叙。
- 明治40年(1907年)
- 明治44年(1911年)9月6日、大佐に進級し歩兵第3連隊長。
- 大正3年(1914年)、正三位に昇叙。5月11日から近衛歩兵第1連隊長。
- 大正5年(1916年)8月18日、陸軍少将に進級し歩兵第5旅団長。
- 大正6年(1917年)8月6日、歩兵第1旅団長。
- 大正9年(1920年)
- 8月10日、陸軍中将に進級すると同時に待命。
- 12月1日、予備役編入。
- 大正13年(1924年)、従二位に昇叙。
- 昭和11年(1936年)、正二位に進む。
- 昭和18年(1943年)2月19日、薨去。墓所は大林寺。