小笠原長幹
From Wikipedia, the free encyclopedia
最後の小倉藩主だった華族の小笠原忠忱伯爵の長男。1897年(明治30年)3月、家督を相続する。学習院卒業後、イギリスのケンブリッジ大学に留学。帰国後に宮内省に入り式部官となり、1918年(大正7年)7月10日、貴族院議員となる[2]。1920年(大正9年)に陸軍省参事官、1922年(大正11年)に国勢院総裁、その後、行政制度審議会委員などを歴任する。東京浅草の海禅寺に葬られたが、のちに多磨霊園に改葬。
1927年(昭和2年)、小倉藩下屋敷跡に建てられたスペイン風の邸宅(小笠原伯爵邸、新宿区河田町)は、東京都選定歴史的建造物第66号に指定され、2002年(平成14年)6月、民間によって修復され、結婚披露宴も行われるレストランとして利用されている。
政治に打ち込み伯爵同志会を組織化するなど功績を収める一方、美術(彫刻)にも高い能力を発揮。朝倉文夫に師事し、文部省美術展覧会にしばしば入選を果たした[3]。
