日本陸軍鉄道連隊九七式軽貨車
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概要
本車は台車2、荷匡1、旋回架2より構成された軽貨車で、敷設車、長材料運搬車およびボギー台車を備えた無蓋貨車として使用できる。敷設に使用する場合は架匡を外し、台車上に旋回架を装着する。
5トン積みであった九一式軽貨車のフレーム強度を増し、積載許容荷重を8トンとした車両。無蓋貨車として使用した場合には完全武装の兵員約40名を乗せることができた[2]。車輪の外側と内側に車軸を締め付ける留めボルトがあり、これを緩めることで1,000 mm軌間(主に東南アジアで使用)から1,524 mm(主にソ連・ロシアで使用)まで改軌できる、車軸と車輪が可変構造になった特殊な軌間可変車両であった。
また、車軸受にローラーベアリングを採用したことで走行抵抗がいちじるしく低減し、後述のように永く用いられる一因となっている。一〇〇式鉄道牽引車と組み合わせると1,067 mmでの軽運搬作業もできた。
泰緬鉄道建設時にはレール輸送などの軽列車として活躍した。
諸元
開発
製造
大井川迂回線建設工事での使用
特殊な利用方法

主な用途は軽列車として将兵の輸送や軌道の補修や敷設といった工事用であったが、2~4台の台車と回転軸、支持桁を組み合わせることで10トン以上の積載力を持つ大物車として橋梁の鈑桁や攻城用重砲の砲身を輸送することができた[7]。
また、マレー作戦では大発動艇の輸送にも使用されている。車輪径が小さく車高が低いことから、一般の貨車では車両限界を超えトンネルにつかえてしまう船を運ぶことが可能であった[注釈 1]。タイ湾に面するタイソンクラー県のシンゴラから半島を縦断してマラッカ海峡沿いのアロルスターまで船を運び敵後方へ迂回上陸を行ったもので、ジョホール・バル攻略までに3、4回行われた[8]。
泰緬鉄道では、前輪の軸受けベアリングが破損した一〇〇式鉄道牽引車の前輪を取り外して本車の台車を取り付ける応急修理が行われ「下駄履き鉄牽」と呼ばれた[9]。
軌道外走行装置
レールの破壊や遮断された箇所では車輪に軌道外走行装置を取り付け、鉄道牽引車の牽引によってロードトレインとして路上を走行することもできた。この時は積載量が軌道上よりも制限され、牽引車が2トン、貨車が1トンとされた[10]。一〇〇式鉄道牽引車の試験においては、五両編成で箱根峠から三島までを下った際に横転事故を起こしている(この試験に使用された貨車が九一式か九七式かは明確ではない)[11]。
この装置は第二次大戦の開戦時には誕生していなかったようで、マレー作戦に合わせてカンボジアからプノンペンを目指した鉄道第九連隊第三中隊は線路の欠損に遭遇し、空荷にした台車を鉄輪のまま路上を牽引している。この行軍にはかなり無理があったようで、レール上に戻した後の移動中に貨車1両の車軸のベアリングが割れて遺棄している。タイ・フランス領インドシナ紛争あおりをうけてモンゴルボレイ~シソポン間約10kmのレールが取り外されていた[12]。

