ジョホールバル
マレーシアの都市
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地理
人口は約85万人[1]。イスカンダル・プテリやパシル・グダンなどを含む広域のジョホールバル地区の人口は約171万人(2020年)[2]。中国語の地名表記は「新山」という。また、クアラルンプールが「KL」と略されるのと同様に「JB」と略される。
ジョホール海峡を挟んだ対岸にシンガポールがあり、相互往来は盛んである[3]。実際、マレーシアの入国審査場を抜けてすぐのところが中心市街地で、地元の人も「マングリッシュ(マレーシアなまりの英語)」ではなく、「シングリッシュ(シンガポール訛りの英語)」を話す。また、シンガポールへの観光ツアーにも、このジョホール・バルが組み込まれている事が多く、通貨も、シンガポールドルでの支払が可能な店舗もある。マレーシア国内だが、マレーシアのラジオよりシンガポールのラジオのほうがよく入る。
サッカー日本代表がFIFAワールドカップ本戦初出場を決めたジョホールバルの歓喜の地として、日本でもその名を知られる所でもある。
2006年より大規模な開発計画イスカンダル・マレーシアが進められ、隣国シンガポールの好調な経済発展の影響もあり急速な発展を遂げている。
2024年のマーサーによる「生活の質の高い都市」調査では、東南アジアでシンガポール、クアラルンプールに次いで3番目にランクインしている。
歴史


- 1528年 - ジョホール王国が成立。
- 19世紀後半 - スルタン・アブ・バカールにより王国の首都がジョホール・ラマからジョホール・バルに移転される[4]。
- 1923年 - ジョホール・シンガポール・コーズウェイが完成。
- 1942年1月31日 - 太平洋戦争の初期に、山下奉文率いる日本陸軍が、現地を長年植民地支配していたイギリス軍を放逐して占領。
- 1942年2月8日 - 同じくイギリス植民地であるシンガポールの占領を目標とし、日本軍がゴムボートでジョホール海峡を渡った。
- 1945年8月15日 - 日本の連合国軍に対する敗戦が決まり、イギリスの植民地に戻る。
- 1957年 - イギリスから独立、マラヤ連邦の成立によりジョホール州の州都となる。
- 1963年 - マレーシア連邦が成立。
- 1965年 - シンガポールがマレーシアから独立し、国境の街となる。
- 1997年11月16日 - 1998 FIFAワールドカップ・アジア第3代表決定戦「日本-イラン」を開催。延長戦の末、日本が3-2で勝利し初のW杯本大会出場を決めた。
- 2006年 - イスカンダル・マレーシア構想が発表される。
- 2012年 - レゴランド・マレーシアが隣接するイスカンダル・プテリに開業(アジア初)。
- 2025年 - ジョホール・シンガポール経済特別区(JS-SEZ)の設立に合意[5]。
- 2026年 - ジョホールバル・シンガポールRTSが開業予定[6]。
交通
ゆかりの人物
- シュラ - 歌手。


