乾坤体義

From Wikipedia, the free encyclopedia

乾坤体義』(けんこんたいぎ)は、明末万暦年間に成立した、マテオ・リッチ李之藻徐光啓による、西洋天文学や地理学の入門書。イエズス会士らが中国で著した同種の書物の中ではおそらく最も古い。清の四庫全書に収録されるが、四庫総目提要では「西洋の学問が中国に入り始め(西法入中國之始)」「前人が明らかにしえなかったものを明らかにした(皆前人所未発。)」「細やかで明瞭な記述である(亦復委曲詳明。)」と高く評価される。ただ、明末に李之藻が編集した『天学初函』には収録されなかった。主にクリストファー・クラヴィウス『サクロボスコの天球論註解』を種本とする。上中下三巻。上巻は、屏風仕立ての世界地図『坤輿万国全図』の跋文と重なる部分が多く、地球球体説や世界の地理の概要、そしてアリストテレス自然学に基づく宇宙の構造を述べる。さらに、仏教の須弥山説や、中国の陰陽五行説を批判する。中巻では、ユークリッドの光学(視学)にもとづいて、日月食の仕組みや天体の大きさの推定方法などを述べる。下巻は『圜容較義』と同一で、高度な数学の問題(等周定理)を扱う。下巻以外の上巻と中巻では、数学的な詳細はあまりかかれておらず、基本的な考え方がわかりやすく説明される。

上巻は、四つの節からなるが、最初の三つの節はいずれも『坤輿万国全図』の跋文に全文が掲載されている。第一節「天地渾儀説」は右端(表題は省略)、第二節「地球比九重天之補遺遠且大幾何」は左端、第三節「渾象図説」は「天地儀」と題し、冒頭の「渾象図以…」を「天地儀以…」に替えて右下隅に掲げられている。第四節「四元行論」も、右上に掲げられている「四行論略…」から始まる跋文に要約が述べられている。

中巻は、次の4節からなる:「日球大於地球、地球大於月球」「論日球大於地球」「論地球大於月球」「附徐太使地圜三論」。

下巻は「容較図義」と題され、『圜容較義』と同一。四庫全書版では削除され、『圜容較義』が独立の書物として収められる。

種本

主にクリストファー・クラヴィウス『サクロボスコの天球論註解』四巻 (In Sphaeram Ioannis de Sacrobosco Commentarius)、特に第一巻と第二巻の内容に基づく。第三巻と第四巻の内容はほとんど反映されていない。また、ユークリッド『光学』『反射光学』も中巻に用いられている[1]。種本に比べて分量はかなり短く、初等的な話題に集中している。一方、中国の知識人に向けて書かれたことから、中国の地理情報や、中国の伝統的な説(五行説)への反論など、独自の内容も含む。

内容

上巻の「天地渾儀説」では地球球体説と世界の地理について述べる。リッチによると、大地と海が各々球形をなし、それらは合わさって一つの球になっており[注 1]、天球の中心にあって動かない[注 2]。ここで、大地と海の球を別々に論じているのは、西方の自然学の議論をうけてのことであるが、背景を共有しない中国の知識人にその意味合いが伝わったかどうかは疑わしい[2]

さらにリッチは、天球と地球の南北二極や赤道、南北回帰線(南道、北道)、全周を360度にわけること、南北回帰線が赤道から23.5度離れたところにあることを説明する[3]。さらに、リッチは「地は天にくるまれ、天に比べて非常に小さい」とする。

地球が球形であることの根拠として、リッチは250里北上するたびに天の北極が1度ずつ高くなることを述べる。この数値から、地球の円周を90,000里、地球の直径を28,638里36丈と計算してみせる(円周率は22/7としている)。リッチはこれを「実数」とするが、実はプトレマイオスの数値を8スタジアを4里として換算したものである[4]。この数値は朝鮮の文人の間でも盛んに用いられた[5]。 また、世界の地理をリッチは以下のように述べる。対蹠地が存在し、気候は緯度によって北から寒帯、温帯、熱帯、温帯、寒帯と変わっていく。世界には五つの大陸[注 3]、合計100以上の国がある。本初子午線を幸福諸島(カナリア諸島)とすると、南京は北緯32度、東経128度である。このように、仏教の説(須弥山説)は完全な誤りである[6][7]。リッチは又、北緯40度の北京と南緯36度の喜望峰(大波峰)の気候はほぼ同じで季節は反対であること、経度30度で一時辰(2時間)の時差があることを指摘する[8]。この中で、中国の地理的な情報と仏説への反論は当然種本には無く、リッチや李之藻の加筆である。

「地球比九重天之星遠且大幾何」ではアリストテレス・プトレマイオス的な宇宙の構造を数値つきで説明している[9]。天球は幾重にも重なって、各々硬くて透明で、日月星辰は木の板の木目のように天球の上に固定されている[10]。一番内側の天球は月に対応し、続いて水星、金星、太陽、火星、木星、土星、そして恒星(列宿)の天がある。その外側に全ての天体の日周運動をつかさどる「宗動天(primum mobile)がある[11]

ここで、この天球の多層構造を「九重天」とよんでいるが、掲げられている「乾坤体図」には十一重天が描かれている。すなわち、恒星の長期的な運動の説明にもう一つ球(「第九重 無星 水晶天」)を足し、日周運動を司る宗動天は十番目である。また、一番外側に全てを収容する不動の天(「第十一重 永静不動(coelum empyreum、最高天)」)を付す[注 4]

これを「九重天」とよぶのは、『楚辞』の「天問」、「離騒[注 5]のような、伝統的な「九天説」「九重天説」を意識している可能性がある[12][注 6][注 7]

「渾象図説」では、渾象(アーミラリー球)を図示して、南北極、赤道などの概念を説明する。「四元行論」は、四元素説を紹介し、中国の五行説に反論する。

中巻のユークリッド的な光学の六つの基本的な命題を述べ、それに基づいて天文学的な議論を展開する。まず「日球大於地球、地球大於月球」においては、地心視差を用いて地球と月の距離を計測する方法、日食月食の原因、大気差を論じる。次に「論日球大於地球」では、日月食の観測データを先に論じた光学の六つの命題を用いて解釈し、太陽が地球より大きいことを証明する。「論地球大於月球」は、同様に地球が月から大きいことを論じる。「附徐太使地圜三論」は徐光啓が地球球体説を擁護した論文である[13]

下巻は「容較図義」と題され、『圜容較義』と同内容である[14]

成立について

『乾坤体義』の成立年については、今井湊の万暦33年(1605年)説[15]と方豪の1615年説[16]がある。『坤輿万国全図』の刊行は1602年であり、この跋文は上巻と文章がかなり共通しているので、この時点で上巻はかなり完成していたとみてよい。よって、下巻以外は早くに成立した可能性がある[17]。ただし、下巻に相当する『圜容較義』は、李之藻「圜容較義序」から1608年とされる[18]。なお、『圜容較義』が最初から独立した書物として意図されたのか、それとも最初から『乾坤体義』の一部の積りであったのかは不明[19]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI