圜容較義
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『圜容較義』(えんようこうぎ)は、明の終わりごろ、イエズス会士のマテオ・リッチ(利瑪竇)が口授し、李之藻が筆録・解説した西洋の幾何学に関する書物。1608年に作成され、1614年に刊行。
等周図形の理論を扱う。すなわち、「周の長さが等しい平面図形の中で、面積が最大であるものは円であること」と「表面積が等しい立体の中で、体積が最大であるものは球であること」を証明する。つまり、等周定理の特殊な場合である。
種本は、クリストファー・クラヴィウス『天球論註解』の一部である。同書は、ヨハネス・ド・サクロボスコ『天球論』のへの注で、クラヴィウスが奉職したコレジオ・ロマーノの天文学教育でも用いられた。コレジオ・ロマーノでクラヴィウスの教育を受けたマテオ・リッチは、中国に宣教師として赴いた際、クラヴィウスの著作を、李之藻や徐光啓と共に数多く翻訳しているが、本書もその一つである。
サクロボスコ『天球論』は、アリストテレス的な自然学に従って、天を球形としていた。天が球であることの理由の一つとして、宇宙は全ての有を含むので、体積が最大になる立体、すなわち球形であることが望ましい、という議論を挙げている[注釈 1]。クラヴィウスは、これに対して若干の注釈を加え、さらに「等周図形について De figuris isoperimetris」という小論を附録として付け加え、数学的な証明を与えた。証明は、主にパップスの『数学集成』の第5巻に依拠している[3]。
『圜容較義』は、この注釈および付属の小論をほぼ全部、翻訳したものである。同じ内容がリッチと李之藻による『乾坤体義』(『天球論註解』の部分訳)に巻下「容較図義」として収録されている。『圜容較義』が果たして最初から『乾坤体義』の一部分として訳出されたのか、それとも独立の小論として訳出されたのかは不明である[3]。後に李之藻が叢書『天学初函』を編纂した時には、『圜容較義』として独立した形で収録されている。
なお、マテオ・リッチが関わった著作では、「圜」と「円(圓)」を使い分けている。「円(圓)」は「地円」など「円い」という性質を表す場合に使われ、図形としての円は「圜」で表すことが圧倒的に多い。この使い分けは、清朝に入っても西洋の学問の影響を受けたものの間では継承された。「圜」は中国伝統数学では円の意味で使われていない[4]。一方、安大玉は、当時「円(圓)」の字は専ら円周をあらわしたという。故に、円とその内部を表すラテン語 ciruculus の訳語としては用いられなかったのかもしれない、と推測している[4]。