乾陵は乾県の梁山に造営された。高宗は弘道元年(683年)に没し、翌年に乾陵に葬られた。武則天は神龍元年(705年)に没し、翌年に乾陵に合葬された。
乾陵のある梁山は、渭水北岸にそびえる海抜1047mの山で、乾県側から望むと最初に目につくのが、乾陵とその南にある門闕のある峰である。陵園は内城・外城の2城からなり、墓の主体部は梁山の中腹に設けられている。内城の東壁・西壁・南壁・北壁の中央にはそれぞれ門があり、各一対の石獅子像がある。北門(玄武門)外には6体の石馬像があった。南門(朱雀門)の南には、墓道に沿って南から墓道を挟んで対称に門闕・華表・天馬・駝鳥・石馬5対・石人10対、東の無字牌と西の述聖記牌、門闕、東の24人石人群と西の29人石人群、石獅子一対があって、朱雀門にいたる。朱雀門に入ると献殿跡の遺構があり、さらに梁山へ向かう参道が延びている。
梁山の中腹に造営された主体部の墓道は確認されており、斜道で長さ63.1m、幅3.9m、底まで深さ19.5mある。墓道は長方形の石を積んで閉塞し、石を鉄楔で連結し、目地に銑鉄を流し込み、その上を版築で突き固めている。陵園の東南には17基の陪葬墓があるが、そのうち永泰公主墓・章懐太子墓・懿徳太子墓など5基は発掘されている。