二階堂行朝 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代生誕 不明死没 正平8年/文和2年9月25日(1353年10月22日)改名 行朝→行珍(法名) 凡例二階堂行朝時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代生誕 不明死没 正平8年/文和2年9月25日(1353年10月22日)改名 行朝→行珍(法名)別名 通称:信濃入道官位 左衛門尉、信濃守幕府 鎌倉幕府、室町幕府主君 北条高時→足利直義→尊氏氏族 藤原南家乙麻呂流 二階堂氏父母 父:二階堂貞綱子 行親、行通、行良、二階堂顕行室テンプレートを表示 二階堂 行朝(にかいどう ゆきとも)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武士。 二階堂貞綱の子として誕生。当初は北条高時に仕えたが、嘉暦元年(1326年)出家し、行珍と称した。建武2年(1335年)、延元3年/暦応元年(1338年)、正平7年/文和元年(1352年)の3度にわたって政所執事に補任された。 また建武3年/延元元年(1336年)には安堵奉行、安堵方の頭人、延元3年/暦応元年(1338年)には引付衆・引付奉行人、引付方の頭人を務め、興国5年/康永3年(1344年)には引付方一番の寄人に任ぜられ、他に評定衆、内談衆も務めるなど広く吏僚として活躍。観応の擾乱では初め足利直義方についたが、のちに足利尊氏方に降った。 正平8年/文和2年(1353年)、尊氏の相伴として上洛した際の落馬がもとで死去した[1]。洞院公賢は日記『園太暦』で「近頃の武士の中ではよく物をわきまえており、元弘のころから公家とも古なじみであった。変死してしまうとは残念なことだ」とその変死を悼んでいる。 一説に上洛し湯治の為に上方の二階堂行朝の義従兄弟の佐々木道誉邸宅に隠居したとされる。道誉の正室は二階堂行綱の孫二階堂時綱の娘である。 脚注 ↑ 『園太暦』文和2年9月26日条 出典 安田元久『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年) 太田亮 『姓氏家系大辞典』、上田萬年、三上参次監修 角川書店、1963年11月。 NCID BN01488361。 細川重男、「政所執事二階堂氏の家系」、鎌倉遺文研究会編 『鎌倉時代の社会と文化』 東京堂出版〈鎌倉遺文研究 2〉、1999年4月。ISBN 978-4-490-20375-2。 木下聡、「二階堂氏」 『室町幕府の外様衆と奉行衆』 同成社、2018年4月。ISBN 978-4-490-20375-2。 史料 『太平記』 『寛政重修諸家譜』 『鎌倉年代記』 裏書 表話編歴室町幕府政所執事 二階堂時綱1333 長井広秀1334 二階堂行朝1335 二階堂行直1340 二階堂時綱1346 粟飯原清胤1348 二階堂行朝1349 佐々木道誉1349 二階堂行通1351 佐々木道誉1352 粟飯原清胤1353 二階堂政元1354 佐々木道誉1354 二階堂行元1368-1379 伊勢貞継1379-1391 伊勢貞行1393-1410 伊勢貞経1410-1431 伊勢貞国1431-1449 二階堂忠行1449-1459 伊勢貞親1460-1466 伊勢貞宗1466-1468 伊勢貞親1468-1471 伊勢貞宗1471-1490 伊勢貞陸1490-1520 伊勢貞忠1521-1535 伊勢貞孝1535-1562 摂津晴門1562-1571 伊勢貞興1571 Related Articles