伊勢貞継
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康安元年(1361年)までに出家して照禅と称するが、依然として義詮の側にあり、申次を務めた。その後も御厩奉行・御所奉行を経て康暦元年(1379年)に発生した康暦の政変を機に二階堂行元に代わって政所執事に任じられる[4]。
『武家年代記』には足利義満は伊勢照禅(貞継)の邸宅で生まれたと記されている。このため、義満の養育に貞継が関わっていたとする説もあるが当時の史料からは確定できない。ただし、義満の管領でその養育にも関与したとされる細川頼之から重用され、その失脚後にも連座せずに政所執事になっていることから、義満に長く近侍していたことは確実で事実に近いと考えられている[5]。また、前職の御所奉行の後任が得られなかったらしく、職掌が近似しているとは言え、政所の職務外である御所奉行の職務も引き続き担当した形跡があり、こうした事情が貞継の長期在任、更には伊勢氏の執事職世襲につながったとする見方もある[6]。
1391年に没するまで政所執事を務めた。貞継の没後は孫の伊勢貞行が政所執事となった。