于勒
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『三国史記』の楽志及び新羅本紀に于勒の名が記されている[1]。楽志では、省熱県の人であり、嘉悉王に命じられて「下加羅都」「上加羅都」などの伽耶諸国の地名などを冠した楽曲を12曲制作したとある[1]。その後、伽耶の国が傾き始めたことを機に新羅の真興王のもとへと身を寄せ、同地でとった3人の弟子とともに伽耶の12曲を改良した5曲の楽曲を完成させる[1]。完成した楽曲について、高官は亡国である伽耶の楽曲は王宮にふさわしくないとするが、真興王は気にせずに新羅の大楽(宮廷音楽)に採用したと記される[1]。また、新羅本紀では、于勒と真興王の出会いとして、真興王12年(551年頃)に王が于勒に伽耶琴を演奏させ、これを気に入ったことから、于勒に弟子をとらせたとある[1]。
生没年は明らかでないが、嘉悉王・真興王の在位期間や伽耶が存在した時期などから、480年頃に誕生し、500年から510年頃に嘉悉王に12曲を捧げ、551年頃に真興王の面前で演奏した後、伽耶が滅んだ562年頃に新羅の大楽を完成させ、その後没したのではないかと推測されている[2][3]。出身地である省熱県は、宜桑県(現在の宜寧郡付近)とする説や沙熱伊県(現在の堤川市付近)とする説などがある[3][4][5]。