栃木県宇都宮の人で、宇都宮藩士・五味吉房の二男[1][2][5]。1869年[1]、東京に出て吉川慎堂の門に入り漢籍・洋書を学んだ[7]。1875年、分かれて一家を創立した[2][5]。
1873年、樺太に渡り、後九州に於いて警察官となり西南戦争に従う[2][5]。1879年、兄が病んで没した[1]。卯三郎は官を辞めて上京し、遺子・保に其の後を継がせ、自ら分家した[1]。
1892年、神田区会議員に挙げられ、以来20有余年間毎回当選した[7]。1896年、東京府会議員に挙げられ、1897年、東京市会議員に選出された[7]。東京市参事会員である[2][5]。
1923年9月1日、関東大震災により死去、翌年の1924年8月11日に葬儀を行う[3]。墓所は青山霊園1-ロ-16。