井沼方
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河川
沿革
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡木崎領に属する井沼方村であった。元禄年間に大谷口・中尾・柳崎村とともに一村から分村され成立した[5]。村高は『元禄郷帳』では100石余であった[5]。助郷は中山道浦和宿に出役していた[5]。村の規模は東西3町余、南北4町余で、化政期の戸数は14軒であった[5]。
- 発足時は幕府領で以降変遷無し[5]。
- 幕末時点では足立郡井沼方村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[6]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、井沼方村、大牧村、中尾村、大間木村、下山口新田、蓮見新田が合併し、尾間木村が成立、尾間木村の大字井沼方となる[7]。(明治の大合併)
- 1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村が三室村と共に浦和市に編入され[8]、浦和市の大字となる。
- 1958年(昭和33年) - 県営浦和井沼方住宅(56戸)が1960年(昭和35年)にかけて字東谷に建設される[5]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市が大宮市、与野市と合併し、さいたま市の大字となる。
- 2002年 (平成14年) 12月7日 - 東浦和第一土地区画整理事業完成。明神社脇の通りを境に[9]、井沼方団地などがある地区の東側が東浦和2丁目1〜25番地に住居表示変更。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し当地区はさいたま市緑区の大字となる。
- 2006年(平成18年)9月16日 - 2002年に東浦和2丁目に変更しなかった地区を東浦和2丁目26〜79番地に住居表示変更し消滅[10][11]。