埼玉県川口市出身。埼玉師範学校卒業[1]。小学校教師となる。
1931年退職し、郷土社で『綴方生活』などを編集。新興教育研究所に属し左翼教育運動を行い、弾圧を受ける。
1934年早船ちよと結婚、共に浦和市(現・さいたま市)で児童文化運動にかかわる[2]。
戦時中科学工業新聞社、朝日映画社に勤務[1]。
戦後は教育運動史研究会を運営、新作家協会・児童文化の会の創立に参画し、『新作家』『子ども世界』などを主宰した。また、『新興教育』『綴方生活』の復刻や出版に努めた。1977年生活綴方研究会を創設、教育運動史研究の隆盛に貢献した[1]。