京橋 (大阪市)
大阪市の橋
From Wikipedia, the free encyclopedia
京橋(橋梁)
京橋(橋梁)は京街道の起点(のち高麗橋に変更)、また東海道五十七次の終点(江戸日本橋から137里4町1間)であり、大坂では数少ない公儀橋であった。江戸時代の擬宝珠には「元和九年造立」(1623年)の銘があった。
1704年の大和川付替えまで、架橋河川は寝屋川ではなく大和川だった。川幅は現在よりも広く、江戸時代の最長時には100mを超える橋長を誇っていた[1]。
北詰には京街道沿いに相生西町・相生東町・野田町といった町並が形成され、川魚市場もあり、大坂の玄関口の一つとして賑わった。南詰は大坂城の虎口の一つである京橋口となる。
1924年に橋長73.2m、4径間の桁橋に架け替えられたが、1930年にスタートした寝屋川改修工事によって、1933年に橋長55.1m、3径間の桁橋に短縮された。
1981年の改装により、高欄が植樹枡を兼ねた構造となり、照明が千成瓢箪を模した形となった。

京橋(旧町名)
元は、京橋南詰 - 天満橋南詰 - 天神橋南詰 - 今橋東詰にかけて京橋1 - 6丁目という町名であった。1724年の享保の大火後、京橋1丁目(現在の上町筋以東)が火除地となったため、京橋2 - 6丁目となり、町名の由来である京橋(橋梁)を含まない町域となった。
1872年に京橋1 - 3丁目に再編され、同時に火除地となっていた箇所は京橋前之町という町名となった。1879年の区政施行後は東区の町名として存在したが、1989年の中央区設置(東区と南区の合区)の際に、京橋1 - 3丁目は大手前1丁目、天満橋京町、北浜東の各一部となり、同時に京橋前之町も大手前1丁目の一部となって、京橋および京橋前之町の町名は姿を消した。
旧町名が京橋だった地域は現在の天満橋駅周辺であり、京橋駅周辺ではない。
京橋(地域)
京橋駅はJR西日本大阪環状線・片町線(学研都市線)・JR東西線、京阪本線、Osaka Metro長堀鶴見緑地線が乗り入れる大阪屈指のターミナル駅となっており、現在、京橋といった場合は当駅周辺を指すことが多い。
京橋駅周辺が繁華街として発展するに伴い、「京橋」は京橋駅周辺の地域名となり、都島区片町2丁目・東野田町全域・都島南通2丁目、城東区新喜多1丁目・蒲生1 - 2丁目・野江1丁目などを指すようになった。広義には寝屋川の対岸(南岸)に位置する中央区城見2丁目、城東区鴫野西1丁目などを含む場合もある。
JRと京阪および地下鉄を含め、京橋駅は1日50万人以上の乗降客があり、京阪グループなどが拠点を置いていることから商業施設が集積しており、飲食店街や歓楽街も発展していることから大阪の東の玄関口とも呼ばれる[3]。
現在の京橋駅界隈の大半は東野田町にあり、この町名は東成郡野田村に由来する。大阪市域にはもう一つ西成郡野田村(現:福島区野田など)があり、1897年に両村は大阪市北区(当時)に編入され東成野田・西成野田となり、1900年に東野田・西野田となった。また、1969年まで京橋駅北西の東野田町交差点に大阪市電「東野田駅」があった。
