京都市交通局狭軌1形電車
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概要
梅鉢鉄工所製で、台車はブリル21-Eを1基装備した単車である[1]。オープンデッキの運転台兼乗降口を前後に備え、当時は正面に窓を持たない吹きさらしであった[1][3]。後に正面には窓ガラスと方向幕を持つ幕板が設置されているが、側面扉は堀川線廃止に至るまで設置されなかった[4]。
京電の買収当時は133両を引き継いだ[1]。1955年までは広軌1形との重複を避けるため、車体番号に「N」をつけて区別され(「N電」という通称はこれに由来)、N1 - N133となった[1]。1919年に33両を売却[1]。1925年までに39両が売却された[1]。以後狭軌路線の廃止や改軌により次第に数を減らして堀川線廃止前年には28両が残っていた。この28両は1955年に改番を行い、1 - 28に番号が付け直されている(すでに広軌1形が全廃された後だったため、それまで番号の前に付いていた「N」は省略された)[1]。堀川線廃止4か月前の1961年の3月末に6両が廃車となり、廃止に伴う7月の最終運行まで残ったのは22両だった[1]。
181号車
譲渡
ここでは譲渡先が判明している車両についてのみ述べる。
- N3-N14のうちの6両
- 1919年(大正8年)に3両が岩村電気軌道へ、1920年(大正9年)に3両が和歌山水力電気(和歌山軌道線)へ譲渡[5]。
- N17・N25
- 1930年(昭和5年)に熊本電気軌道へ譲渡され21・22号となる。後年、富山地方鉄道高岡軌道線へ譲渡[9]。
- N23・N64・N68-72・N76・N77
- 1928年(昭和3年)、1930年(昭和5年)、1932年(昭和7年)の3度にわたって計9両を菊池電気軌道へ譲渡。当初はN電時代の番号のまま使用された[10]。後に1-9号に改番。
- N31-N51のうちの3両
- 京都電燈(越前線)へ譲渡[11]。
- N81・N82・N85・N86・N88-N91・N93・N95-N98・N104・N106
- 太平洋戦争中、名古屋市電気局(名古屋市電)へ譲渡[12]。N電時代の番号のまま使用され、終戦後、北陸鉄道、名古屋鉄道、秋田市交通局(秋田市電)に譲渡された(N96は戦災で廃車)[13]。
保存車
動態保存
日本国内では下記の2箇所で動態保存されている。
静態保存
廃止後に大半が近畿地方各地に引き取られ保存された。日本国内で保存されたものは年月の経過とともに多くが解体されたものの、数両が残存している。
そのうち、平安神宮神苑に保存されている2は、2020年に国の文化審議会により重要文化財の指定対象として答申された[19]。2025年2月には境内の有料区域内から応天門近くに移設され、修復を実施し1年後をめどに無料公開される予定[20]。
京都市の大宮交通公園に保存されていた1は、2020年に交野市の霊園施設に移設され、法要施設として使用されている[21]。
宝塚ファミリーランド電車館を経て加悦SL広場に保存されていた23は、2021年に和泉市の霊園施設に移設され、法要施設として使用されている [22]
なお、17・19はアメリカ合衆国の南カリフォルニア鉄道博物館に渡った。