今久留主淳

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国籍 日本の旗 日本
出身地 台南州嘉義市(現:中華民国の旗 中華民国
生年月日 1918年11月15日
没年月日 (1986-02-15) 1986年2月15日(67歳没)
今久留主 淳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 台南州嘉義市(現:中華民国の旗 中華民国
生年月日 1918年11月15日
没年月日 (1986-02-15) 1986年2月15日(67歳没)
身長
体重
165 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1950年
初出場 1950年
最終出場 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 西鉄ライオンズ (1957 - 1965)

今久留主 淳(いまくるす すなお、1918年11月5日 - 1986年2月15日[1])は、台湾台南州嘉義市出身のプロ野球選手内野手)・コーチ

プロ野球選手の今久留主功は実弟、今久留主成幸は親類。アマチュア野球選手の今久留主邦明は息子。

台南州立嘉義農林学校では1933年夏1935年春1935年夏の甲子園大会に出場した[1]。卒業後は全鹿児島を経て、1949年星野組へ入部。第20回都市対抗野球大会で優勝[1]

1950年に星野組の仲間だった荒巻淳西本幸雄、弟の今久留主功と共に毎日オリオンズへ入団。32歳という遅いプロ入りとなり、同年シーズン途中の8月にチームメイトの小田野柏と共に西鉄クリッパース北川桂太郎との交換トレードで移籍[2]1956年に引退。

引退後は西鉄で二軍コーチ(1957年 - 1959年)、一軍コーチ兼スコアラー(1960年 - 1965年)などを務めた[1]

1986年2月15日肝硬変のため死去

身長が165cmと小柄である為に長打力は無いものの俊足でヒッティングが巧く、また三振が非常に少ない選手で、1952年に記録した22三振が最多。西鉄が初優勝した1954年には、110試合(285打数)で僅か5三振しかしていない。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1950 毎日 451171041622410287524--8--173.212.274.269.544
西鉄 55223208255270059101556--9--0104.250.281.284.565
'50計 10034031241741110871720710--17--1177.237.279.279.558
1951 78310282318210601042515611--17--0126.291.331.369.700
1952 1174624046311728511582623714--42--22210.290.359.391.750
1953 8124822521577227422886--17--0134.253.306.329.635
1954 110328285317661084225412326--256.267.332.295.627
1955 79101894236013211001090252.258.340.360.700
1956 565951010100113012061091.196.281.216.496
通算:7年 62118481648191439691545501267133563134178336.266.324.334.658

背番号

  • 2 (1950年)
  • 16 (1950年)
  • 1 (1951年 - 1956年)
  • 40 (1957年 - 1959年)
  • 65 (1960年 - 1962年)
  • 71 (1963年 - 1965年)

脚注

関連項目

外部リンク

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