今村学郎

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今村 学郎(いまむら がくろう、1900年10月14日 - 1982年11月4日[1])は、日本の地理学者地形学者地質学者

東京府(現・東京都)出身[1]。後に専修大学総長を務めた弁護士今村力三郎の息子として生まれた[2]

1927年東京帝国大学理学部地理学科を卒業。1928年、文部省留学生としてドイツに渡りベルリン大学に学び、翌1929年にはパリ大学に移る。その後、1930年に2か月スウェーデンに滞在し、シベリア経由で帰国。同年、東京文理科大学助教授となった。今村が在職した当時の東京文理科大学地理学教室は、福井英一郎吉村信吉らもおり、大学の所在地から「大塚の黄金時代」と評された[1]

今村の研究業績は多岐にわたったが、1933年には「地理学における法則、自然環境の解釈等」をめぐって石田龍次郎と論争し[3]1937年には『科学』誌上で海岸段丘をめぐって大塚弥之助と論争を展開したほか、氷河地形に関して多様な観点からの業績を残した[1]1944年、「日本アルプスにおける氷河地形」で理学博士。

終戦後、占領期にはGHQに勤務[4]1952年国際地理学会議には、駐留軍情報部地理課所属として参加した[5]。後に教壇に復帰し、専修大学に教員として勤めた[1]

また、日本第四紀学会の創設(1956年)に参画した[要出典]

人物

おもな著書

出典・脚注

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