仲宗根創

沖縄民謡歌手 From Wikipedia, the free encyclopedia

仲宗根 創(なかそね はじめ、 (1988-02-28) 1988年2月28日(38歳)- )は、日本の沖縄民謡歌手、三線奏者、民謡指導者。

生誕 1988年〈昭和63年〉2月28日 -
日本の旗 日本・沖縄県那覇市
出身地 日本の旗 日本 沖縄県 那覇市
ジャンル 沖縄民謡
職業 歌手、三線奏者、民謡指導者
概要 仲宗根創, 生誕 ...
仲宗根創
生誕 1988年〈昭和63年〉2月28日 -
日本の旗 日本・沖縄県那覇市
出身地 日本の旗 日本 沖縄県 那覇市
ジャンル 沖縄民謡
職業 歌手、三線奏者、民謡指導者
活動期間 2000年 -
共同作業者 チャンプ流ぅ芸能団、R∞2
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沖縄県那覇市出身。琉球民謡協会師範。[1]

幼少期より沖縄民謡に親しみ、伝統芸能の継承と後進の育成に取り組む一方、R∞2(ルーツ)名義でジャンル横断的な音楽制作も行っている。[2]

経歴

幼少期

1988年、沖縄県那覇市に生まれ、小学3年時に沖縄市コザ)へ移る。 祖父・仲宗根盛光の影響で3歳頃から三線と民謡に親しみ、祖父が通っていた民謡研究所へ共に足を運ぶなど、幼い頃から民謡環境の中で育った。祖父の奏でる三線は子守歌でもあったという[3][4]

三線との出会い

コザ移住後、祖父と共に民謡クラブを巡り、松田弘一が主宰する「島情話」で三線に衝撃を受け、弟子入りを志願して入門した。やがて照屋林賢がプロデュースしたアジマァレコード主催の「第1回民謡歌手オーディション」で優勝し、中学1年生でCDデビューを果たす。デビュー作『アッチャメー小』(2000年)は当時の民謡ブームの中で大きな注目を集め、雑誌掲載や正月番組への抜擢など反響を呼んだ。[5]

登川誠仁への弟子入り

民謡会派の分裂により師匠筋の所属が変わったことをきっかけに、祖父とともに琉球民謡協会に残り、憧れていた登川誠仁へ弟子入りを志願[6]。中学3年時、登川の自宅を訪ねるも「忙しい」と断られ続けたが、高校に進学後も1年間通い続け、ついに高校1年の夏休みに「来い」と弟子入りを許された。登川門下では、稽古の会話は全てウチナーグチ、内容は八重山民謡中心、庭仕事も含む厳しい修行だったが、本人は「毎日が楽しかった」と語っている[7]。酒好きの師の習性により稽古が1〜2ヶ月空く時期もあったが、10年間に渡り師事した。登川の晩年まで付き従い、亡くなる2日前にも会って会話を交わしたという。

琉球民謡協会では師範として認定され、民謡研究所「仲宗根創 島うた倶楽部」を主宰し、後進の育成にも携わっている。

活動

若手芸能家の平敷屋門勇也知念勝三らと共に「チャンプ流ぅ芸能団」を立ち上げ、若手による新しい芸能表現の場づくりにも参画する。

RBCiラジオ民謡で今日拝なびら』では月曜レギュラーとして出演し、解説や生歌を担当している。

R∞2

R∞2(ルーツ) は、2018年より仲宗根創が始動した別名義プロジェクトである。レゲエEDMエレクトロニック民族音楽など多様な音楽ジャンルを取り込みつつ、琉球音階や三線の音色を中心に据えた作品を制作している。R∞2名義の楽曲は企業CMや映像作品で使用されるほか、学校のダンス作品にも採用されるなど、若年層からの支持も得ている。

音楽性

仲宗根の歌唱は、沖縄民謡の伝統的な節回しと、現代的な表現を両立した点に特徴がある。登川誠仁に連なる力強い発声と細やかな節づけを持ち味とし、伝統曲の継承と再解釈を重視している[8][9]。R∞2 名義ではデジタル音楽との融合を図り、沖縄民謡の新たな表現領域を開拓している。[10]

ディスコグラフィ

[11]

アルバム

  • 『アッチャメー小』 (2000年、照屋林賢プロデュース)
  • 『歌ぬ糸』 (2013年)
  • 『辿 -ten-』(2016年)

R∞2(ルーツ) 名義

  • デジタルシングル多数(企業CM・映像作品等で使用)

出演

ラジオ

  • 『民謡で今日拝なびら』 (RBCiラジオ) - 月曜レギュラー

脚注

外部リンク

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