伊藤次郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 1910年
没年月日 1995年以前
伊藤 次郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大日本帝国の旗 日本統治下台湾
生年月日 1910年
没年月日 1995年以前
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1936年
初出場 1936年
最終出場 1939年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 次郎(いとう じろう、1910年 - 1979年以前)は、台湾[1]出身のプロ野球選手投手)。

1910年に台湾で生まれた。台湾アミ族出身で本名は羅道厚。平安中学校に野球留学。春夏合わせて7回甲子園出場[1]

平安中ではエースとして活躍し、1928年の第14回全国中等学校優勝野球大会では準決勝の北海中戦で甲子園至上3人目のノーヒットノーランを達成(6対0で勝利)[1]。 平安中を卒業後、法政大学野球部へ進んだ[1]。大学では1年下のエース若林忠志投手らと共に活躍しリーグ戦初優勝も経験。東京六大学リーグ通算5勝2敗。

1936年、東京セネタースの結成に参加。1939年までの通算4年間で10勝を挙げる一方で、外野手としてもプレーした[1]

日本人女性と結婚したことで、日本国籍を取得。意気揚々と台湾に帰国するが、敗戦により再来日。母校・法政大の先輩である島秀之助らから就職支援を受けるが、長続きはしなかった[2]。その後、若くして亡くなったことが生前の島から示唆されている[2][3]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1936 東京セネタース 15433523000320--0--5--34--.086.256.086.342
1937 4014512682431029123--5--11--312--.190.271.230.501
1937 3190736164202474--5--10--210--.219.329.329.658
1938 3212411116225002785--2--11--09--.198.270.243.513
1938 236155390101140--0--4--27--.164.246.200.446
1939 106400000000--0--2--01--.000.333.000.333
通算:4年 15146940435741240943312--12--43--1043--.183.278.233.511

背番号

  • 24 (1936年 - 1939年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI