伊集院町中川
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河川
歴史
中河の成立と中世
中川(中河)という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国伊集院のうちであった。建久8年の薩摩国図田帳には中河という地名は見えないが、建長5年の満家院西俣名主法橋栄尊申状に見えるのが地名の初見であるとされる。この申状が書かれた建長5年ごろまでは中河は土橋(現在の伊集院町土橋)の一部であったとされる[4]。
南北朝の乱以降、他の伊集院の区域と同様に伊集院氏の領下となったが、宝徳2年に伊集院氏の伊集院煕久が肥後へ逃亡し、以後は島津氏の直轄領となった[4]。
近世の中川
江戸時代には中川村は薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであった。村高は天明8年の「由緒再撰調」には316石余、「天保郷帳」では339石余、「旧高旧領取調帳」には323石余であったと記されている[4]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、伊集院郷の中部の区域より中伊集院村が成立し、江戸期の中川村は中伊集院村の大字「中川」となった。1936年(昭和11年)に中伊集院村が町制施行し伊集院町となり、伊集院町の大字となった[4]。1998年(平成10年)に郡山町大字西俣字笹原田の一部を中川字九壽丸の一部に編入し、竹之山字馬渡の一部を中川の一部に編入した[5]。
2005年(平成17年)5月1日に伊集院町が日置郡東市来町、吹上町、日吉町と合併し日置市が成立した[6]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定された[7]。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「
字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された[1]。この告示の規定に基づき即日大字の名称変更が行われ、大字名が「中川」から「伊集院町中川」に改称された[8]。
字域の変遷
| 実施後 | 実施年 | 実施前 |
|---|---|---|
| 大字中川字九壽丸(編入) | 1998年(平成10年) | 郡山町大字西俣字笹原田(一部) |
| 大字中川(編入) | 大字竹之山字馬渡(一部) |
