吹上町田尻
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河川
歴史
田尻の成立と中世
田尻という地名は鎌倉期より見え、薩摩国伊作荘(庄)のうちであった。建長7年の関東下知状に島津忠久の自名の村の1つとして「田尻・和田・大野三ケ村」と見えるのが初見である[5]。
近世の田尻
江戸期には薩摩国阿多郡伊作郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」及び「郡村高辻帳」では1,820石余、「三州御治世要覧」には1,330石余、「旧高旧領取調帳」には1,292石余と記載されている[6][7]。
宝暦6年に今和泉島津家の島津因幡の持切在となり、以後今和泉郷(現在の指宿市の一部)の領主である今和泉島津家の持切在となった[6]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い伊作郷の区域より伊作村が成立し、江戸期の田尻村は伊作村の大字「田尻」となった[7]。1922年(大正11年)には伊作村が町制施行し、伊作町となり同町の大字となり、1955年(昭和30年)に伊作町と永吉村が合併し、吹上町が新設され同町の大字となった[7]。
2005年(平成17年)には吹上町が伊集院町、東市来町、日吉町と合併し日置市が新設され、大字田尻は日置市の大字「吹上町田尻」となった[8]。
