吹上町中之里
From Wikipedia, the free encyclopedia
河川
歴史
中之里の成立と中世
中之里は古くは中里と之を略して表記されており、伊作庄(荘)のうちの名田名であった[3]。
文保元年の伊作荘日置北郷領家雑掌地頭代和与状に中里名に関する記述が見える[4]。
近世の与倉
江戸期には薩摩国阿多郡伊作郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」及び「郡村高辻帳」では1,157石余、「三州御治世要覧」には943石余、「伊作名勝志再撰帳」には809石余、「旧高旧領取調帳」には807石余と記載されている[3][4]。
江戸期の村内には製蝋所があり、人口は1,350人、戸数は281戸であった[4]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い伊作郷の区域より伊作村が成立し、江戸期の中之里村は伊作村の大字「中之里」となった。1922年(大正11年)には伊作村が町制施行し、伊作町となり同町の大字となり、1955年(昭和30年)に伊作町と永吉村が合併し、吹上町が新設され同町の大字となった[4]。1999年(平成11年)に湯之浦字打越の一部を中之里字越田に編入し[5]、中之里字下平田及び字黄幡田の各一部が入来字久木町の一部となり、入来字久木町の一部が中之里の一部に編入した[6]。
2005年(平成17年)には吹上町が伊集院町、東市来町、日吉町と合併し日置市が新設され、大字中之里は日置市の大字「吹上町中之里」となった[7]。
字域の変遷
| 実施後 | 実施年 | 実施前 |
|---|---|---|
| 中之里字越田の一部 | 1999年(平成11年) | 湯之浦字打越の一部 |
| 入来字久木町の一部 | 中之里字下平田、字黄幡田の各一部 | |
| 中之里の一部 | 入来字久木町の一部 |
