佐々木修一
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都会への憧れが人一倍強く、その頃流行していた佐々木新一のヒット曲「あの娘たずねて」をよく歌っていた[4]。自動車整備士を目指して1967年に集団就職で上京し、東京の自動車会社に入社。横浜郊外にあるサービス工場が職場となり、トラックの荷台の溶接を任された。丁寧な仕事を心掛けるも、その態度が上司には「仕事が遅い」と映って毎日叱責されたが、深夜までこつこつ働いた。しかし、一年が過ぎても相変わらず仕事は溶接ばかりで、理想とはかけ離れた仕事内容で嫌気が差していた[4]。ある日、競走馬の育成をしている叔父から「今度、岩手の馬が東京で走るぞ」と電話があり、大井競馬場で叔父が育てた馬が勝ったレースを見て競馬の世界に魅了され、競馬の世界に飛び込むことを決意[5]。南関東を経て水沢に戻り厩務員生活を送り、41歳で調教師の資格を得て1992年厩舎を開業。厩舎を開業して2年が経った1994年、管理馬で明正商事の所有馬のパラダイスカフェがデビュー、同馬は1995年にかけてデビュー12連勝を記録するなど通算18戦16勝、2着1回、3着1回という成績を残した。そして1996年、メイセイオペラがデビュー。途中、不振や大怪我などあったが活躍。その後もコンスタントに重賞勝ち馬を輩出し、岩手競馬厩舎リーディングでも上位の常連となっている。
主な受賞歴
- 1998年度 NARグランプリ優秀調教師賞
- 1999年度 NARグランプリ優秀調教師賞
- 2002年度 岩手競馬リーディングトレーナー
- 2004年度 岩手競馬リーディングトレーナー
調教師成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初出走 | 1992年4月5日 | ||||||
| 初勝利 | 1992年4月12日 | ||||||
| 地方重賞初出走 | 1995年5月21日 | 2回水沢5日目10R | シアンモア記念 | ブリザード | 8頭 | 5 | 5着 |
| 地方重賞初勝利 | 1997年7月6日 | 5回新潟(地)5日9R | 東北優駿 | メイセイオペラ | 10頭 | 1 | 1着 |
| G1級初出走 | 1997年11月03日 | 9回盛岡3日10R | ダービーグランプリ | メイセイオペラ | 12頭 | 2 | 10着 |
| G1級初勝利 | 1998年10月10日 | 7回盛岡4日10R | マイルチャンピオンシップ南部杯 | メイセイオペラ | 12頭 | 3 | 1着 |
| 中央重賞初出走 | 1999年1月31日 | 1回東京2日11R | フェブラリーステークス | メイセイオペラ | 16頭 | 2 | 1着 |
| 中央重賞初勝利 | 1999年1月31日 | 1回東京2日11R | フェブラリーステークス | メイセイオペラ | 16頭 | 2 | 1着 |
主な管理馬
- メイセイオペラ(1997年東北優駿、1997年不来方賞、1997年桐花賞、1998年・1999年シアンモア記念、1998年マーキュリーカップ、1998年・1999年・2000年みちのく大賞典、1998年マイルチャンピオンシップ南部杯、1998年・1999年北上川大賞典、1999年フェブラリーステークス、1999年帝王賞)
- マツノホープ(1998年金杯)
- メイセイオペレッタ(2000年オパールカップ)
- メイセイユウシャ(2001年せきれい賞)
- チュードサンデー(2002年ダイヤモンドカップ、2002年岩鷲賞、2002年東北優駿)
- バンメガミ(2004年留守杯日高賞)
- テンショウボス(2007年トウケイニセイ記念、2007年みちのく大賞典、2007年桐花賞)
所属騎手
- 阿部英俊
- 渡辺正彦(佐藤浩一厩舎に移籍後引退)