佐々木志郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
青山学院大学経済学部を卒業後、1962年に日活入社[1]。すぐに営業に回されたが、当時の日活は石原裕次郎や吉永小百合らの文芸路線で大ヒットを連発して景気が良く[1]、銀座で毎日のように接待だったという[1]。関東のセールスがいっぱいになったことから北海道支社に転属し、4年間同支社に勤務した[1]。1965年頃から東映が「網走番外地シリーズ」を当てると日活の文芸路線がダメになり[1]、成績が下がったことから、日活は東映を真似たヤクザ映画の製作が決まり、佐々木ら地方の若手トップセールスマンを本社企画部に戻し、佐々木らが主導して『男の紋章シリーズ』や『博徒百人』『昇り竜 やわ肌開張』などを作った[1]。以降一貫して企画畑を歩み[2]、「日活ニューアクション」からロマンポルノの時代を企画の最前線で支えた[2]。この間、脚本家として中島丈博、田中陽造、那須真知子、荒井晴彦、桂千穂、金子成人らを世に送り出し[1]、根岸吉太郎、池田敏春、中原俊、那須博之、金子修介らの若手助監督を監督に抜擢することで次世代を育て上げた[1]。また東陽一監督の『ラブレター』(1981年)、松田優作主演・森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983年)では日本映画界に新しい潮流を生み出した[1]。製作スタッフのポスター等への氏名表示にも力尽くすなど、常に作り手に寄り添う姿勢は斯界から深い信頼を得た。 1986年にATGに移り、同社企画宣伝部長。1994年にATGを退社し株式会社ジャストを設立。以降はフリーのプロデューサーとして活動した[1]。