佐々木政義 From Wikipedia, the free encyclopedia 佐々木 政義(ささき まさよし、承元2年(1208年) - 正応3年6月17日(1290年7月24日))は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府の御家人。佐々木義清の嫡男。通称は隠岐太郎。官位は左衛門少尉。隠岐・出雲両国の守護職。 花輪違(七宝に花角) 承元2年(1208年)、佐々木義清の嫡男として生まれる。 鎌倉幕府第5代将軍・藤原頼嗣の近習となる。 1233年頃、父義清より隠岐・出雲両国の守護職を相続したが、三浦泰村と諍いを起こし憤怒に任せて、建長2年12月29日庚申(1251年1月22日)、無断で出家をして「真願[1](心願[2])」と号した。この無断出家の罪により政義の職掌・所領は没収され、弟の佐々木泰清が、隠岐・出雲両国の守護を継承した[3]。 正応3年6月17日(1290年7月24日)入寂。享年83歳。 補注 ↑ 『佐々木系譜』による表記。 ↑ 『吾妻鏡』による表記。 ↑ 『吾妻鏡』第40巻、建長2年12月大29日庚申(1251年1月22日)條。「隠岐太郎左衛門入道心願者、佐々木隠岐前司義清が嫡男。幕府の近習也。俄に以て出家遁世令め訖。而るに若狭前司泰村、北條殿御縁者と為し、殆ど武家の権柄を極め、已に諸人之上首を爲すに似たり。時于、心願獨り異心を挿み坐着の上下の如き之事に就き、度々喧嘩に及ぶ。始終之を相争うを不得と出家之企て此の事に於て起こすと云々。件の所領に於て者、舎弟次郎左衛門尉泰清に賜はる」による。 参考文献 『吾妻鏡』 『尊卑分脈』洞院公定撰 『群書類従』塙保己一編、1819年 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年 『講談社 日本人名大辞典』上田正昭、西澤潤一、平山郁夫、三浦朱門監修、講談社、2001年 関連項目 宇多源氏 近江源氏 出雲源氏 佐々木氏 先代佐々木義清 隠岐・出雲 両国守護職1233年 - 1251年 次代佐々木泰清 Related Articles