佐々木泰清
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兄政義が、建長2年12月29日(1251年1月22日[2])、無断で出家し職掌・所領を没収されたため、兄の跡式である隠岐・出雲両国の守護を継承した。有力御家人との関係を築き、自らも六波羅探題評定衆に列せられる。官位は検非違使、次いで従五位下に叙爵され大夫判官、信濃守に補任された。
弘安元年(1278年)頃、出雲国守護職を三男・頼泰(母・葛西清親の娘)に、弘安5年(1282年)頃、隠岐国守護職を次男・時清(母・大井朝光の娘)にそれぞれ相続させた。泰清は子が多く、子らも各郷邑に分封され、新たに氏を称して繁栄したため、事実上の隠岐・出雲源氏の祖となる。