佐久間勝年
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天正18年(1590年)、後北条氏の家臣・佐久間勝之(のち信濃国長沼藩主)の嫡男として相模国小田原にて誕生。母は佐々成政の娘。
父に従って徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いや大坂の陣に出陣し戦功をあげたという。戦後、父が信濃長沼藩主になるが、信濃水内郡内に所領5000石があり長沼城内に別館を構えたと伝える[1]。寛永3年(1626年)、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の上洛の際には父と共に随行し、後水尾天皇の二条城行幸にも供奉した[2]。
寛永7年(1630年)、父に先立って死去。戒名は大龍院玄銕関叟。江戸で没し(『寛永諸家系図伝』)近江国高島郡中之庄村幡岳寺に葬る(『寛政重修諸家譜』)というが、いずれにも墓所は現存しない。長沼城下には勝年の菩提を弔うため石村(長野市豊野町)の神宮寺を移転して大龍院と改め、勝年の墓塔が建てられた。この寺はのちに勝年居館跡に移転され貞心寺(長野市穂保)となり、現在も墓塔と位牌がまつられている[1]。
遺領は一旦収公されたものか定かでないが、長男・勝盛が寛永9年(1632年)に祖父・勝之の死去に伴い、長沼藩領から5000石の分知をうけて旗本となり「長沼知行所」を興している。