佐伯経範
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『尊卑分脈』『系図纂要』などの諸系図は経範の父を藤原秀郷の後裔である相模守公光とする。佐渡守公行を祖に持つ経範の兄弟の多くはその官名にならって佐藤氏を称し、俗名を佐藤義清といった西行や、鎌倉幕府の重臣となった佐藤業時や伊賀氏、源義経の郎党となった佐藤継信・忠信兄弟はいずれも経範の兄弟の子孫とされている。経範の生母は佐伯氏で、経範が藤原氏でなく佐伯氏を称したのは母方の氏を称したためであるとされている[4][7][5]。
もっとも系図上における経範の兄弟はいずれも父祖以来の「公」の字を偏諱として持つが、経範だけは持たない。また母を大江氏とする経範兄弟の公季について、『続群書類従』所収「秀郷流系図」が佐伯氏の祖としているという矛盾が見られる。そのため経範を相模守公光の子とするのは東国の名族である藤原秀郷の子孫に位置づけるための後世の付会であり、実は別の氏族であるという見解も存在する。経範とその子孫である波多野氏が所領とした相模国余綾郡幡多郷は渡来系豪族の秦氏が経営したことに因むといわれ、実際に経範が活動した時期の国司に秦氏の名が見える。そのため本来秦氏だったものがより名高い武門の後裔を称するために秀郷流藤原氏の末裔と記されるのに至ったのではないか、という[8][7]。