何でも見てやろう

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何でも見てやろう』(なんでもみてやろう)は、1961年(昭和36年)2月に刊行された小田実旅行記[1][2]東京大学の大学院生だった小田がフルブライト奨学金を受けて1958年(昭和33年)夏からアメリカのハーバード大学に1年余留学し、その後、欧米・アジアなど22カ国を貧乏旅行して1960年(昭和35年)4月に日本に帰国するまでを綴った体験記であり、発売から10か月で20万部を超えるベストセラーとなった[3][2]

1958年夏、小田は第7回フルブライト留学生250人のうちの1人として氷川丸でアメリカに渡った[4]。その時点で小田は古代ギリシア語を専攻する東京大学の大学院生で、すでに本を2冊刊行していた[5]。アメリカに行った理由として小田は『何でも見てやろう』の冒頭で次のように述べている[6]

ひとつ、アメリカへ行ってやろう、と私は思った。三年前の秋のことである。理由としてはしごく簡単であった。私はアメリカを見たくなったのである。要するに、ただそれだけのことであった。
小田実、『何でも見てやろう』[7]

アメリカ留学中の学費と生活費はすべて支給された[4]。約1年間のアメリカ留学のあと[8]、帰路は大西洋を横断する船の切符と、オスロから東京までの航空券を買い、ニューヨークを出発するときの所持金は201ドルだった[9]。そして約半年をかけてヨーロッパからエジプト中東インドバンコク香港を経由し、1960年4月に日本へ帰国した[4][8]

アメリカ留学していた期間とその後の海外旅行の期間の割合は二対一であるが、本全体の構成はアメリカ観察記が三割ほどで、残りがユーラシア大陸を巡る旅行記となっている[8]

1967年に「再訪」と「カラー版のあとがき」が追加され[10]、1971年に「この巻のためのきわめて短かい注釈」が書かれている[11]。1979年の講談社文庫版では、「カラー版のあとがき」は「あとがき2」、「この巻のためのきわめて短かい注釈」は「あとがき3」として収録されている[12]。「再訪」は再びアメリカなどを訪れたときの記録だが、小田によればそれは“世界のベトナム戦争反対運動との連帯を確立するための旅行”であり、“八年前の「何でも見てやろう」の旅行に比べて、重苦しく、みじめな旅行だった”と「あとがき2」で述べている[13]

執筆の経緯

日本に帰国後、小田がこの旅行の話を河出書房新社の編集者である坂本一亀にしたところ、坂本は若い人たちの間で旅行記が読まれているとして、北杜夫『どくとるマンボウ航海記』、犬養道子『お嬢さん放浪記』、堀田善衛『インドで考えたこと』の3冊を挙げ、小田にも海外旅行記の執筆を勧めた[14]。小田は旅行の顛末は小説にすることを考えておりすでに執筆も始めていたが、堀田の『インドで考えたこと』に心を惹かれ、コクトウの『アメリカ紀行』のようなものなら書いてもいいと返事をする[15]。旅行記を執筆をすることを決めた小田に対し坂本は、原稿はせいぜい350枚くらいと告げたが、半年後の11月、坂本の元に現れた小田が携えてきた原稿用紙は900枚あった[15]

本にするに際しては定価が高くなることを避けるため表紙は2色刷でカバーも付けずシンプルにし、刊行後に社長から「社はじまって以来の悪装幀」とまで言われたという[16]

時代背景

1964年4月1日に自由化されるまで、海外旅行は日本政府の許可を得た特別な人しか行くことができず、いわゆる「観光旅行」は存在しなかった[17]。当時、1ドルは日本円に換算して360円であり、1960年当時の小学校教員の初任給は10000円だった[9]

1957年、ニューヨークでアーサー・フロンマー英語版の『ヨーロッパ一日五ドルの旅』(Europe on 5 Dollars a Day)が出版された[18]。この本はアメリカでベストセラーとなり、小田が実践した1日1ドルの旅において大いに活用された[18]

反響と評価

出版ニュース社の調査によれば1961年(昭和36年)のベストセラーランキング2位である(1位は岩田一男の『英語に強くなる本』)[19]。『出版指標年報 二〇一九年版』(出版科学研究所)の年間ランキングリストを元にしたデータでは1961年の第7位となっている(こちらも1位は『英語に強くなる本』)[20]

前川健一は、この本の影響により、外国に行く数多くの貧乏旅行者を生み出し、そして貧乏旅行の体験談が次々に出版されたが、それらがほとんど顧みられることが無いのに対して『何でも見てやろう』が今も読まれ続けているのは、“ものを見る目と、それを表現する文章力の差”にあると言い、この本がベストセラーとなったのは比較文化論の要素もあるからだと評価している[21]

山口誠は、小田の『何でも見てやろう』は、航空券ストップオーバー(途中降機)の仕組みを利用して低予算での「歩く」旅を成立させ、“国家や社会のための海外渡航を個人のための海外旅行へと反転させ、個人的な動機によって、あるいは自らの楽しみのためにおこなわれる海外旅行の道を開いて見せた”と評価している[22]

地球の歩き方』の創刊メンバーの一人となった西川敏晴も中学生の頃に『何でも見てやろう』を読んで影響を受けたという[23]

生井英考によれば、『何でも見てやろう』以降、伊丹一三ヨーロッパ退屈日記』(1965年)、森村桂天国にいちばん近い島』(1966年)などのベストセラー旅行記が登場し、またアメリカ体験記としては安岡章太郎『アメリカ感情旅行』(1962年)、桃井真『ケネディにつづく若者たち』(1963年)、江藤淳『アメリカと私』(1965年)などが続いたとしている[24]

出版年譜

脚注

参考文献

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