芳賀徹
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委員・役員ほか
- 出生から修学期
1931年、東京府(現・東京都)で生まれた。本籍は山形県。両親の都合で幼時より両親の出身地でもある山形県で過ごし、1941年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)へ転入。東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)4年修了で、1948年に旧制第一高等学校に入学。1年修了で1949年に新制東京大学に入学。東京大学教養学部教養学科フランス分科で第一期生として学び、1953年に卒業。同大学大学院比較文学比較文化専修課程に進み、島田謹二の下で比較文学を学んだ。第一期生として修士課程を修了後、フランスへ留学。
当初、現地留学でフランス語詩に親しんだが、蘭学研究を始めて近世以降の東西交渉史に関心を持った。日本美術史で特に近世以降の日本絵画における西洋文化の影響、岩倉使節団を論じ、徳川時代の平和を、パクス・ロマーナをもじって「パクス・トクガワーナ」と名づけた[4][1][5]。1957年に帰国。
- 文学研究者として
1963年、東京大学教養学部専任講師に就いた。1965年より助教授。1966年、プリンストン大学研究員。1968年に初の単著である『大君の使節』を刊行。1977年に同教授昇格。1985年、学位論文『絵画の領分:近代日本比較文化史研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[6]。
1983年から1988年まで、東京大学比較文学比較文化研究室主任教授を務めた。1991年、国際日本文化研究センター教授を併任。1992年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は国際日本文化研究センター教授として研究を続けたが、1997年に同センターを定年退官し、同名誉教授となった。同年4月、大正大学教授に就任。
1998年4月、岡崎市美術博物館館長に就任(2010年まで)[7][8][9]。1999年、京都造形芸術大学教授、学長に就き、2008年名誉学長。2006年、瑞宝中綬章受章[10]。2006年11月1日源氏物語千年紀の呼びかけ人となった。
2010年4月、静岡県立美術館館長に就任(2017年まで)[11][7]。2012年、現代俳句大賞受賞。2014年1月、宮中歌会始で召人を務めた。2018年、日本芸術院会員に選出された。
受賞・栄典
研究内容・業績
専門は比較文学。東京大学では福田眞人・杉田英明[13]を含む数多くの後進を育成した。
- 新しい歴史教科書をつくる会
- 1996年12月2日、藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのりらは「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見を開催。中学校社会科教科書からの従軍慰安婦の記述削除を求めた[14]。会見時の呼びかけ人は9人、賛同者は78人。芳賀は賛同者に名を連ねた[注 1]。
- 1997年1月30日、「つくる会」が設立される[16]。設立と同時に「つくる会」の理事に就任した[17]。2004年に会長が八木秀次に変わると、同年以降は顧問となった[17]。扶桑社から出版された中学教科書『新しい歴史教科書』の監修も務めた[18]。