本節では、現在の四川省綿竹市一帯に設置された晋熙郡について述べる。398年(隆安2年)[4]、秦州の流民を集めて晋熙郡が立てられた。晋熙郡は益州に属し、郡治は晋熙県に置かれた。
南朝宋のとき、晋熙郡は晋熙・萇陽の2県を管轄した[5]。
南朝斉のとき、晋熙郡は廃止されて、南新巴郡に編入された[6]。
南朝梁のとき、再び晋熙郡が立てられ、潼州に属した。
北周のとき、萇陽県と南武都県が晋熙県に編入された。さらに晋熙県が廃止されて陽泉県に編入され、晋熙郡の属県は陽泉県1県のみとなった。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、晋熙郡は廃止され、益州に編入された[7]。