保倉川
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歴史
- 約4400年前:縄文時代には、古保倉川が上越市頸城区百間町から頸城区舟津周辺を流れていた。現在、激しい蛇行跡は、その形のまま水田として利用されている。
- 1607年:福島城の築城 - この時代の保倉川は、上越市黒井付近を流れ日本海に直接注いでいた。この保倉川と関川に挟まれた土地に堀秀治により福島城が築かれた。
- 1675年ころ:保倉川河口を関川に付け替え - 高田藩家老小栗美作(おぐりみまさか)が、殖産家河村瑞賢とともに関川河口にあった今町港(今の直江津港)の水深確保のため、既に廃城となっていた福島城の南側の堀を利用して保倉川河口を関川に付け替えた。
- 1751年:越後・越中地震により支流潟川が5.4kmにおよぶ決壊。
- 1965年(昭和40年)9月18日 - 集中豪雨により保倉川が氾濫。荒川からの氾濫の影響も含め直江津市街地の約3400戸が床上浸水、約1000戸が床下浸水。浸水域には市役所や警察署も含まれた[2]。
- 1995年(平成7年)7月11日:7.11水害の発生。
- 2002年(平成14年):マリーナ上越開設。
河川施設
- マリーナ上越(上越市春日新田)




