元朝銭
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元朝では初め、銭貨を発行せず鈔(しょう)と呼ばれる紙幣を流通させる政策を採る。1260年、中統元宝交鈔(ちゅうとうげんぽうこうしょう、中統鈔)を発行するが、これには金朝末の銭貨の流通事情が関係している。銅貨は国外流出や鋳つぶしなどによって絶対量が不足しており、すぐには大量に製造できない銅貨よりも紙幣が選ばれた[2]。10文から2貫文まで9種類あった。中統年間(1260年 - 1264年)には[3]各地に平準行用庫(へいじゅんこうようこ、平準庫。紙幣と金銀を兌換する役所)および回易庫(かいえきこ。損傷した紙幣を交換する役所)を設置した[2]。
やがて中統元宝交鈔の兌換がうまく機能しなくなると、1287年、至元通行宝鈔(しげんつうこうほうしょう、至元鈔)を発行し、中統元宝交鈔5貫文=至元通行宝鈔1貫文の比率で通用させることとした(デノミネーション)。中統元宝交鈔および至元通行宝鈔は元代を通して発行された[3]。
1277年、江南に対し銭貨の使用を禁じて以来、元朝では銭貨の製造・流通はあまり盛んではない。それでも世祖帝(在位:1271年 - 1294年)の時代、元貞通宝・大徳通宝が発行されている。武宗帝(在位:1307年 - 1311年)の時代には至大元宝・至大通宝・大元通宝が発行される。1312年、銭貨の製造をやめ、1351年に再開すると記録にあるが、この空白の期間に発行されたと考えられる至治通宝・泰定元宝・致和元宝・至順通宝・元統元宝・至元通宝が現存する。至正年間(1341年 - 1368年)には至元通宝・至正之宝が出ている[3]。
このうち至元通宝は渡来銭として使用された実績がある[1]。元朝銭は元々製造が少なかったこともあり、日本における渡来銭としても北宋銭や明銭より圧倒的に少ない。