金円券
From Wikipedia, the free encyclopedia
金円券を発行する目的は、それまで流通していた法幣を回収することにあった。法幣は1935年より国民党政府により発行され、日中戦争期間中の財政支出の増大により大量に発行され、日本降伏後に国共内戦が発生すると更に発行額が増大し、1945年8月時点で発行高5兆569億元であったものが、1948年8月には604兆元と3年間で百倍も増大した。政府保有金、外貨が実質的に増加していない状況下、法幣は民間にインフレを招き、また価値の下落した法幣は製紙会社によりパルプ原料に用いられる状況にすらなった。宋子文が行政院長に就任すると金融安定を図り政府準備金で法幣の回収に乗り出すが、発行量が増大し全く成果が上げられなかった。1948年5月の行憲選挙後、翁文灝が行政院長に就任すると王雲五を財政部長に任命し通貨改革に着手した。
発行の経緯
1948年8月19日、国民党は中央政治会議を開催し翁文灝、王雲五から提出された通貨改革案を了承した。その夜、蔣介石により「財政経済緊急令」が全国に公布され、同時に「金円券発行法」が下記の内容で施行された。
- 金円券は1元を金0.22217mgとの等価交換とし、中央銀行が限度額20億元で発行する
- 金円券1元との交換比率は法幣300万元,東北流通券30万元とする
- 個人の金、プラチナ、外貨の保有を禁止し、所持者は9月30日まで金円券に換金すること。違反者の財産は没収とする。
- 全国の物価を8月19日水準で凍結する
これと同時に蔣介石は経済督導員を各大都市に派遣し金円券発行を監督した。特に金融の中心地であった上海には息子の蔣経国を副督導として派遣し上海の経済状況を掌握した。
金円券の発行当初は法律上の没収規定が効果を示し、小規模資産階級を中心に貯蓄していた貴金属や外貨が金円券に兌換された。同時に行なった物価凍結政策は、商人に8月19日以前の価格で物資を提供するように迫り、値上げや売惜しみを禁止した。資本家は政府の圧力にやむを得ず資産を金円券に兌換した。しかし、この指示に従わない資本家は当局に逮捕され殺害されることさえあり、当局にこの問題で殺害された資本家は100名を超えると言われている。蔣経国も金円券改革では上海で厳格な法律の運用を行い、それで僅かではあるが金円券は民衆の信用を取り戻した。