全世界空手道選手権大会

From Wikipedia, the free encyclopedia

全世界空手道選手権大会(ぜんせかいからてどうせんしゅけんたいかい、World Open Karate Championship)は、国際空手道連盟 極真会館が主催し、ワールドゲームズの中間年に開催される極真空手の無差別級の大会である。正式名称はオープントーナメント全世界空手道選手権大会とオープン参加を謳っている。

第1回は1975年11月に東京都体育館(旧)で開催された。当初は同年3月に日本武道館で開催予定だった。1979年から87年まで武道館で開催。91年の第5回大会以降は東京体育館で行われる。ただし2019年のみ武蔵野の森総合スポーツプラザで開催。

歴代入賞者

男子

さらに見る 回, 開催日付 ...
※1995年(第6回)以降は極真会館松井派のみ
開催日付優勝準優勝3位4位
11975年11月1日 - 2日佐藤勝昭盧山初雄二宮城光大石代悟
21979年11月23日 - 25日中村誠三瓶啓二ウィリー・ウィリアムス東孝
31984年1月20日 - 22日中村誠(2)三瓶啓二松井章圭アデミール・ダ・コスタ
41987年11月6日 - 8日松井章圭アンディ・フグ増田章マイケル・トンプソン
51991年11月2日 - 4日緑健児増田章黒澤浩樹ジャン・リビエール[1][注釈 1]
61995年11月3日 - 5日八巻建志数見肇フランシスコ・フィリォギャリー・オニール
71999年11月5日 - 7日フランシスコ・フィリォ数見肇アレクサンダー・ピッチュクノヴグラウベ・フェイトーザ
82003年11月1日 - 3日木山仁セルゲイ・プレカノフエヴェルトン・テイシェイラグラウベ・フェイトーザ
92007年11月16日 - 18日エヴェルトン・テイシェイラヤン・ソウクップアルトゥール・ホヴァニシアンダルメン・サドヴォカソフ
102011年11月4日 - 6日タリエル・ニコラシビリエヴェルトン・テイシェイラゴデルジ・カパナーゼ赤石誠
112015年11月20日 - 22日ザハリ・ダミヤノフジマ・ベルコジャダルメン・サドヴォカソフキリル・コチュネフ
122019年11月22日 - 24日上田幹雄アレクサンダー・イエロメンコアンドレイ・ルジン高橋佑汰
132023年11月アレクサンダー・イエロメンコ西村界人ルジン・アンドレイトゥセウ・アントニオ
閉じる

女子

さらに見る 回, 開催日付 ...
※1995年(第6回)以降は極真会館松井派のみ
開催日付優勝準優勝3位4位
132023年11月佐藤七海 鵜沢菜南 ザベリナ・エリザベータコズロワ・エカテリーナ
閉じる

注釈

  1. 1971年7月2日生まれ。カナダモントリオール出身。1990年1991年カナダ優勝。この時点でキャリア5年だが、同年の第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会のカナダ代表として出場。身長188センチメートル、体重128キログラムの巨漢でありながら、軽快なフットワークとサウスポーからの突き・上中下段回し蹴り一本勝ちを奪い、勝ち上がっていった。特に岩崎達也との対戦では、岩崎の出した右上段後ろ回し蹴りに対するカウンターで左上段後ろ回し蹴りを出し、一本勝ちを奪った。その瞬間は会場が一瞬シーンとなり、大歓声が沸くほどの見事な勝利だった。準決勝では増田章と対戦。増田の左上段回し蹴りや右後ろ回し蹴りを顔面にヒットされたり、右中段回し蹴りで脇腹に攻撃を受け、正拳突きみぞおちに決められ、下を向いて動きが止まるなど自分のペースで試合できなかったが、延長2回まで粘り、惜敗した。3位決定戦では黒澤浩樹に破れ、4位入賞を果たした。その後、1992年米国国際スーパーヘビー級優勝・1994年米国国際優勝の成績を収めた。分裂騒動が起きた時には、政治的問題に巻き込まないよう、極真会館を脱会する。その後、キックボクシングに転向し、国際大山空手道連盟に所属し、バーリトゥードK-1などにも参戦した。

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI