日本製鉄八幡ラグビー部

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日本製鉄八幡ラグビー部(にっぽんせいてつやはた・ラグビーぶ)は、トップキュウシュウに所属するラグビーチームである。

原語表記 日本製鉄八幡ラグビー部
クラブカラー 青・橙
創設年 1927年
代表 船越弘文
概要 原語表記, クラブカラー ...
日本製鉄八幡ラグビー部
原語表記 日本製鉄八幡ラグビー部
クラブカラー 青・橙
創設年 1927年
代表 船越弘文
監督 富永親盛
所属リーグ トップキュウシュウ
公式サイト
http://www.yawata-rugby.com/
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概要

かつて八幡製鉄の名称で、全国社会人大会で歴代最多となる12回の優勝を記録した、社会人ラグビーの名門チーム。獲得した全国タイトルは16個(NHK杯/日本選手権:3回、全国社会人大会:12回、国体:1回)を数える。7人制ラグビー大会のYC&AC JAPAN SEVENSでも歴代最多となる12回の優勝を記録している。

全国社会人大会には1950年度に初出場。以降、1988年度までの間に、近鉄トヨタ自動車三洋電機神戸製鋼リコーに次いで歴代6位タイとなる30回出場した。優勝12回(歴代1位)、準優勝2回(歴代7位タイ)、通算78試合(歴代8位)、通算60勝(歴代5位タイ)という輝かしい記録を残している。

1970年3月31日、八幡製鐵富士製鐵が合併して新日本製鐵が誕生したことに伴い、新日本製鐵八幡ラグビー部(呼称は新日鉄八幡)に改称した。その後は、合理化策等の影響により補強もままならない状況が続き、一時は同好会に格下げされた時代もあったが、現在はラグビー部として活動している。2012年、新日鐵住金への社名変更に伴い、新日鐵住金八幡ラグビー部(一般的には新日鉄住金八幡の表記を使用)に改称した。さらに2019年4月の日本製鉄への社名変更に伴い、2019年度から日本製鉄八幡ラグビー部に改称している。

歴史

黎明期

1927年、後に八幡製鐵副社長、日本ラグビーフットボール協会会長を歴任する湯川正夫[1]により、製鉄ラガークラブとして創設される。しかしその後、第二次世界大戦等の影響により、一時活動停止を余儀なくされる。

1948年に活動を再開。八幡製鐵ラグビー部(一般的には八幡製鉄の表記を使用)と名称が変わった1950年度の大会で、前年度優勝チームの三井化学を九州予選で破って初出場を果たした全国社会人ラグビーフットボール大会(以下、全国社会人大会)において、園田実高倉泰三らを擁し、決勝でトヨタ自工を32-0で破って優勝を果たすと、その後宿敵となる近鉄(1951年度)、川崎重工業(1952年度)をそれぞれ決勝で下し、同大会3連覇を達成した。

4連覇がかかった1953年度の同大会は、九州電力に九州予選で敗退して本大会出場すら果たせなかったが、1954年土屋俊明明治大学)、山崎靖彦佐藤英彦(ともに早稲田大学)の3人のラグビー日本代表選手が揃って入社したことで選手層に厚みが増し、同年度の全国社会人大会では大映を、1955年度は近鉄をそれぞれ破って連覇を果たした。

充実期

1956年明治大学出身の「快速重戦車ウィング」と称された、日本代表WTBの宮井国夫が入社。宮井の加入により、走力があった土屋を、フォワードからバックスへとコンバートさせる策が試みられた。ところが、フォワード陣の高齢化・弱体化が露呈したため、3連覇がかかった同年度の全国社会人大会では、準決勝で近鉄に不覚を取った。一方、同大会が終了した後、当チームは香港遠征を行い、2勝1敗の戦績を挙げた。だが、1957年度の全国社会人大会でも、2回戦で京都市役所に同点抽選負けしてしまう。

2年連続して全国社会人大会で優勝できなかったことから、1958年、14名という大量の新人補強を行った。その成果が見事に現れ、決勝で3連覇を狙う近鉄を9-0で下し、3年ぶり6回目の優勝。さらに1959年度も近鉄を下して連覇を達成した。その後、カナダに遠征し、4勝2敗の成績を収めた。

1960年、後に「グレート草津」のリング名でプロレス界へと転身する草津正武が入社。全国社会人大会において三たび近鉄を下し、同大会2回目の3連覇を達成した。また1960年度より開始された、日本協会招待NHK杯においても、学生代表の日本大学を50-13で破り、初代優勝チームとなった。しかし同年度シーズン限りで土屋が引退。その影響からか、1961年度の全国社会人大会では史上初の4連覇がかかったものの、四たび全国社会人大会の決勝で相見えた近鉄に5-6で敗れた。それは、近鉄が同大会の決勝において八幡を破った最初で最後の事例でもあった。

全国社会人大会4連覇達成

1962年度、王者奪回を果たすべく、山崎靖彦をコーチに据え、主将の松信要三明治大学出身)との「二人三脚体制」がスタートした当チームは、決勝で谷藤機械(現・フリージア・マクロス)を破り9回目の全国社会人大会優勝を果たした。さらに同年度は、第3回日本協会招待NHK杯において明治大学を25-6で破り、2回目の同大会優勝を果たした。

1963年度、宿敵・近鉄を破って10回目の全国社会人大会優勝を果たした当チームは、4チームで覇が競われた、第1回日本ラグビーフットボール選手権大会(以下、日本選手権)に出場。しかし、1回戦で同志社大学に敗れた。だが1964年度、トヨタ自工を下して3回目の全国社会人大会3連覇を達成した当チームは、1965年1月15日に行なわれた第2回日本選手権において、法政大学を15-6で下し、初のラグビー日本一の座に就いた。

しかし1964年度のシーズン終了後、宮井が引退。さらに草津も突然引退し、プロレスへの転向を表明をしたあたりから当チームの衰退の兆しが見え始めてきた。加えて以前より、新人の補強がままならなくなっていたことや、山崎コーチと松信主将の確執が表面化し、後に山崎がチームを去る事態になったこともあって、以前よりチーム力の低下が顕在化していた。

それでも、宮井と草津が抜けたにもかかわらず、1965年に入社した高卒ルーキーの寺井敏雄が草津の穴を埋める活躍をしたこともあり、同年度の全国社会人大会では、近鉄を8-3で下し、ついに史上初の同大会4連覇を達成。さらに同大会の優勝記録を12に伸ばした。しかし、それが当チーム最後の栄光となってしまうのである。

栄光から一転衰退へ

その後、日本選手権早稲田大学と対戦。一進一退の攻防が続き、ノーサイド寸前まで9-9の同点だったが、早稲田のフルバック(FB)・山本巌にペナルティゴールを決められ、土壇場で日本一の座を逸した。その後、宿敵の近鉄が、坂田好弘石塚広治らを擁し、2年連続で全国社会人大会日本選手権を制覇。一方、当チームは全国社会人大会では、決勝にすら駒を進められないでいた。

1968年度の全国社会人大会準決勝で、当チームは3連覇がかかる近鉄と対戦。しかしこれまでとは違って、下馬評は断然近鉄が優勢であった。ところが、執拗にタテ攻撃を展開した効果が出て、18-9でこれを撃破。翌日のスポーツ紙はこぞって、『古豪八幡、どん底からの再起』という見出しをつけたという。しかし当チームの踏ん張りもここまで。決勝ではトヨタ自工に14-19で敗れた。またここで事実上、八幡製鐵ラグビー部・栄光への道のりは幕を閉じた。

試合会場・練習場

八幡製鐵時代から、同社(後に新日本製鐵)が所有し、後に北九州市の市営となった北九州市立鞘ヶ谷陸上競技場を使用している。

エピソード

八幡製鐵ラグビー部時代に限って言うと、近鉄とは20年近くに亘って全国社会人大会において鎬を削った宿命のライバルであったが、同大会における通算戦績は10勝2敗であり、決勝戦に限っていえば7勝1敗と断然八幡の方が分が良かった。しかし、1950年度から1967年度まで、八幡が取りこぼした年度には必ず近鉄が同大会で優勝していることを踏まえると、やはり近鉄の存在は侮りがたかったことが窺える。

タイトル

全国大会

最上位リーグ

下位リーグ

7人制大会

  • YC&AC JAPAN SEVENS 優勝:12回(1959, 1961, 1962, 1964, 1965, 1966, 1967, 1968, 1969, 1970, 1972, 1973)※歴代最多

春季大会

成績

全国社会人大会戦績

さらに見る 回, 年度 ...
年度地区成績備考
31950九州優勝220038335八幡製鉄のチーム名で出場
41951九州優勝330070664
51952九州優勝3300521834
71954九州優勝33001358127
81955九州優勝3300791168
91956九州ベスト43201103994
101957九州ベスト8211024915準々決勝は引分(抽選で敗退)
111958九州優勝440052646
121959九州優勝440012314109
131960九州優勝44001186112NHK杯に出場
141961九州準優勝4301861868
151962九州優勝44001223119NHK杯に出場
161963九州優勝4400100991日本選手権に出場
171964九州優勝44001081692日本選手権に出場
181965九州優勝440078969日本選手権に出場
191966九州ベスト43201441727
201967九州ベスト82101422319
211968九州準優勝4301933954
221969九州ベスト821012538-13
231970九州ベスト821012022-2新日鉄八幡にチーム名変更
251972九州1回戦敗退1010161601回戦は引分(抽選で敗退)
261973九州1回戦敗退10011417-3
271974九州ベスト82101602337
281975九州ベスト8210155505
291976九州ベスト821015266-14
301977九州1回戦敗退1001412-8
311978九州1回戦敗退1001813-5
321979九州1回戦敗退1001315-12
371984九州ベスト82101554015
411988西日本1回戦敗退1001717-10
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リーグ戦戦績

トップリーグ創設以前

さらに見る 年度, 所属リーグ ...
年度所属リーグDiv.順位試合勝利引分敗戦得点失点得失差備考
1968九州リーグ不明540115947112他チームに結果不明の試合があり順位不明(2位以上)
1969九州リーグ優勝430116559106三すくみで同率優勝
1970九州リーグ2位4211906822同率
1971九州リーグ2位43011225963
1972西日本社会人リーグ1部優勝540120881127三すくみで同率優勝
1973西日本社会人リーグ1部優勝550029535260
1974西日本社会人リーグ1部2位540125869189
1975西日本社会人リーグ1部優勝550030129272
1976西日本社会人リーグ1部2位7601261102159
1977西日本社会人リーグ1部優勝770032938291
1978西日本社会人リーグ1部優勝770028056224
1979西日本社会人リーグ1部3位750227451223
1980西日本社会人リーグ1部優勝770026044216
1981西日本社会人リーグ1部4位850324895153同率
1982西日本社会人リーグ1部4位850316310459同率
1983西日本社会人リーグ1部3位8602222110112同率
1984西日本社会人リーグ Aリーグ1部3位41035277-25三すくみ
1985西日本社会人リーグ Aリーグ1部3位42024866-18
1986西日本社会人リーグ Aリーグ1部4位520373100-27
1987西日本社会人リーグ Aリーグ1部5位51044889-41同率
1988西日本社会人リーグ Aリーグ1部3位53026296-34
1989西日本社会人リーグ Aリーグ1部4位63039093-3
1990西日本社会人リーグ Aリーグ1部6位6114109145-36
1991西日本社会人リーグ Aリーグ1部4位6303105159-54
1992西日本社会人リーグ Aリーグ1部5位7304201239-38
1993西日本社会人リーグ Aリーグ1部5位621395235-140同率4位。順位は全試合での得失点差による
1994西日本社会人リーグ Aリーグ1部4位7304149255-106
1995西日本社会人リーグ Aリーグ1部7位7106140297-157
1996西日本社会人リーグ Aリーグ1部7位7106171403-232
1997西日本社会人リーグ Aリーグ1部8位700772650-578
1998西日本社会人リーグ Bリーグ2部4位詳細不明
1999西日本社会人リーグ Bリーグ2部優勝詳細不明
2000西日本社会人リーグ Bリーグ2部3位詳細不明
2001西日本社会人リーグ Bリーグ2部2位詳細不明
2002西日本社会人リーグ Bリーグ2部3位752023413698
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トップリーグ創設以降

  • 2003-2004 トップキュウシュウB 3位
  • 2004-2005 トップキュウシュウB 優勝、トップキュウシュウB残留
  • 2005-2006 トップキュウシュウB 3位
  • 2006-2007 トップキュウシュウB 2位、トップキュウシュウB残留
  • 2007-2008 トップキュウシュウB 4位
  • 2008-2009 トップキュウシュウB 6位
  • 2009-2010 トップキュウシュウB 2位
  • 2010-2011 トップキュウシュウB 3位
  • 2011-2012 トップキュウシュウB 2位、トップキュウシュウA昇格
  • 2012-2013 トップキュウシュウA 5位(予選リーグ :6位 1勝5敗、決勝リーグ:4-7位グループ 2勝1敗)
  • 2013-2014 トップキュウシュウA 7位(予選リーグ :6位 1勝5敗、決勝リーグ:4-7位グループ 3敗)、入替戦:敗戦、トップキュウシュウB降格
  • 2014-2015 トップキュウシュウB 優勝(5勝)、入替戦:勝利、トップキュウシュウA昇格
  • 2015-2016 トップキュウシュウA 8位(予選リーグ :7位 1勝6敗、決勝リーグ:5-8位グループ 3敗)、入替戦:勝利、トップキュウシュウA残留
  • 2016-2017 トップキュウシュウA 7位(予選リーグ :7位 6敗、決勝リーグ:4-7位グループ 3敗)
  • 2017-2018 トップキュウシュウA 4位(予選リーグ:4位 1勝3敗、決勝リーグ:4位・5位決定戦 勝利)、入替戦:勝利、トップキュウシュウA残留
  • 2018-2019 トップキュウシュウA 5位(予選リーグ :5位 4敗、決勝リーグ:4位・5位決定戦 敗戦)、入替戦:勝利、トップキュウシュウA残留
  • 2019-2020 トップキュウシュウA 5位(1勝4敗)、入替戦:勝利、トップキュウシュウA残留
  • 2020-2021 リーグ中止
  • 2021-2022 リーグ中止
  • 2022-2023 トップキュウシュウA 2位(4勝1敗)
  • 2023-2024 トップキュウシュウA 2位(3勝2敗)
  • 2024-2025 トップキュウシュウ 優勝(リーグ戦:カンファレンスA1位 3勝、順位決定戦:1回戦 引き分け、決勝 勝利)、3地域社会人リーグ順位決定戦 5位(1回戦敗退)

2019年度スコッド

2019年度のスコッドは次の通り[2]太字は今年度からの新加入選手。

  • 主将 橋本大輔
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過去の所属選手

キャップ獲得日本代表選手
(括弧内はキャップ数)
  • 佐藤英彦(10)
  • 土屋俊明(12)
  • 山崎靖彦(1)
  • 宮井国夫(11)
  • 藤晃和(5)
  • 尾崎政雄(2)
  • 北岡進(2)
  • 松信要三(旧姓 松岡、2)
  • 村田一男(1)
  • 岡部英二(2)
  • 草津正武(1)
  • 西住弘久(1)
  • 植木史郎(1)
  • 北島治彦(1)
  • 小宮東彦(1)
  • 山岡久(1)
  • 寺井敏雄(21)
  • 谷川義夫(1)
  • 下薗征昭(11)
  • 吉田純司(1)
  • 南川洋一郎(19)
  • 北原敏彦(1)
その他

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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