八戸航空基地
海上自衛隊の航空基地
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八戸航空基地(はちのへこうくうきち、JMSDF Hachinohe Air Base)は、青森県八戸市大字河原木字八太郎山官地に所在する、海上自衛隊の基地である。八戸飛行場とも呼ばれる。

概要
沿革
出典:[2]
- 1939年(昭和14年) - 日本陸軍、八戸飛行場を建設開始
- 1941年(昭和16年)1月 - 日本陸軍飛行場として開港。陸軍少年飛行隊等、主に航空要員養成部隊が置かれる
- 1945年(昭和20年)9月 - 終戦により米軍が進駐。「キャンプハウゲン」となる。この時期に大規模拡張される
- 1950年(昭和25年)
- 1956年(昭和31年)5月 - 米軍撤退、基地返還。陸上自衛隊八戸駐屯地となり、海上自衛隊八戸航空隊準備室設置
- 1957年(昭和32年)3月16日 - 海上自衛隊大湊地方隊八戸航空隊新編
- 1958年(昭和33年)8月5日 - 第2飛行隊(後の第2航空隊)が鹿屋航空基地から移駐
- 1960年(昭和35年)12月1日 - 救難飛行隊新編
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 八戸航空隊が第2航空群に改編、航空集団に編入。八戸航空工作所新編、大湊地方隊に編入
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)
- 1971年(昭和46年)4月28日 - P-2J初配備
- 1972年(昭和47年)2月1日 - 航空自衛隊が撤退
- 1975年(昭和50年)5月10日 - 民間機が三沢飛行場に戻り、民間共用が終わる
- 1977年(昭和52年)12月27日 - 航空施設隊新編、航空集団隷下に編入
- 1985年(昭和60年)7月20日 - P-3C初配備
- 1994年(平成 6年)3月29日 - UH-60J初配備
- 1995年(平成 7年)4月1日 - 八戸調査分遣隊新編
- 1998年(平成10年)12月8日 - 八戸航空工作所が第2航空修理隊に改編、航空集団隷下に編入。第2支援整備隊を第2整備補給隊に改編
- 2001年(平成13年)6月27日 - 航空施設隊が機動施設隊に改編
- 2002年(平成14年)3月22日 - 八戸システム通信分遣隊新編
- 2003年(平成15年)3月27日 - 八戸情報保全隊分遣隊新編
- 2007年(平成19年) - 八戸航空基地開隊50周年
- 2008年(平成20年)3月26日 - 航空部隊再編に伴い、第4航空隊及び八戸救難飛行隊廃止。UH-60J救難ヘリコプターは大湊航空基地に移動
- 2011年(平成23年)3月 - 東日本大震災に対し災害派遣
- 2012年(平成24年) - 八戸航空基地開隊55周年
- 2016年(平成28年)4月 - 熊本地震に対し災害派遣
- 2017年(平成29年) - 八戸航空基地開隊60周年
- 2022年(令和4年)
- 2024年(令和6年)3月21日 - 第2航空修理隊が廃止[7]
- 2025年(令和7年)4月 - 海上保安庁のシーガーディアンが北九州航空基地に移転[8][9]。
- 2026年(令和8年)
配置部隊
ギャラリー
- 八戸救難飛行隊S-55A(1960年)
- 第2航空群第4飛行隊P-2V (1963年)
- 第2航空群P2V-7及びP-2J(1970年)
- 八戸救難飛行隊UH-60J (1994年)
- 第2航空群P-3C(ハイビジ塗装)
- 海上自衛隊第2航空群P-3C(ロービジ塗装)
- オホーツク海を飛行する第2航空群P-3C
- 八戸航空基地を離陸するP-3C
