六手
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河川
市内西部、小糸川支流の馬登川左岸に位置する[4]。地内北部には水田が広がり、西部から南部は山林となっている。
また、南に離れた場所に飛地が存在し(北緯35度16分31秒 東経139度56分56秒 / 北緯35.27528度 東経139.94889度)、こちらはほぼ全域が山林である。
北で中島、東で泉、南東で尾車、南で皿引・大山野、西で宮下・常代、北西で三直とそれぞれ接する(いずれも君津市)。また飛地部分は北で白駒(飛地)、東で草牛、南から西にかけて馬登とそれぞれ接する(いずれも君津市)。
- 小糸川 - 北西の端でわずかに面しているのみだが、千葉県道164号荻作君津線がこの部分を通過している。三直地区との境界をなす。
- 馬登川 - 東部から北部にかけて流れ、泉・中島両地区との境界をなす。
歴史
地名の由来
日本武尊の東征伝説において、日本武尊が豪族・阿久留王と戦った時、阿久留王の手下の手が斬り落とされ、それが6つ当地に流れ着いたことにちなむとされる[4]。
沿革
- 江戸時代 - 周淮郡六手村成立。延享年間には旗本河内氏・御手洗氏・筧氏・井上氏・斎藤氏・小俣氏の相給、後には小俣氏を除く5氏の相給[4]。
- 1873年(明治6年) - 六手村、千葉県に所属[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により周淮郡周南村大字六手となる[4]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 周南村、郡統合により君津郡所属となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 周南村と君津町(初代)・貞元村が合併し君津郡君津町(2代目)が成立、同町の大字となる。
- 1971年(昭和46年)9月1日 - 君津町が市制施行し、君津市となる。
- 2003年(平成15年)3月3日 - 君津市道六手貞元線全通[5]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
交通
施設
- 六手公民館
史跡
- 附属寺
- 六手八幡神社
- 浅間神社
- 鹿島台遺跡
